うたのおけいこ 短歌の領分

2024/02/02(金)07:35

左京大夫道雅  今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな

百人一首(151)

小倉百人一首  六十三 左京大夫道雅(さきょうのだいふ・みちまさ、藤原道雅) 今はただ思ひ絶えなむとばかりを       人づてならでいふよしもがな 後拾遺ごしゅうい和歌集 750 今はただ思いを諦めましたとだけでも 人伝てではなく(じかに)言うすべがあればなあ。 註 思ひ絶えなむとばかりを:句またがりになっており、当時の和歌としてはきわめて珍しい。句またがりは、文節と韻律(五七五七七)が一致しないこと。現代短歌では珍しくない。 よし:方法、術(すべ)。 もがな:詠嘆を込めた強い願望を表す終助詞。「~があればいいのになあ」「~だったらなあ」「~であってほしいなあ」などの意味を表わす。願望を表わす上古語終助詞「もが」に、詠嘆の終助詞「な」が付いたもの。和歌で多用される。上代では「もがも」の形で、万葉集などに頻出する。 伊勢神宮の前斎宮(さきのさいぐう、いつきのみや)だった三条天皇の皇女・当子(とうし、まさこ)内親王とのスキャンダラスな恋愛事件で天皇の逆鱗に触れ、逢瀬を固く禁じられた時に詠んだ、未練たらたらの歌。恋愛に関しては比較的規矩が緩かった当時の上流貴族社会においても、これはさすがに許される一線を越えていた。 悲恋と言えば言えるかも知れないし、大まじめにそのように鑑賞されることが多い歌だが、その反面、一男一女をもうけた妻にはこの事件で愛想を尽かされ、家庭は崩壊。本人も、名門・藤原家本流の御曹司でありながら、形式的な名誉職の閑職・左京太夫で悶々と生涯を終え、その間も殺人を含むともいわれるむちゃくちゃな「ご乱行」の噂が絶えなかった。一種の人格破綻者だったといえよう。別れた妻は、その後あたかも意趣返しのごとく三条天皇中宮(皇后)妍子(けんし・きよこ、藤原道長の次女)に仕え、女房(官女)として大出世、大和宣旨(やまとのせんじ)と称された。 私個人としては、どうしても愛娘(まなむすめ)をキズモノにされた父親の気持ちになって読んでしまうせいか、なんとも自業自得なチャラ男にしか見えず、共感・同情できる余地はほとんどないと思うが、まあ「平安朝のサイテー男」「平安失楽園」としての「イタおも」な感じ(痛々しい面白さ)はあるかな~とは思う一首である。

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