2024/11/14(木)07:19
藤原道長 この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば
藤原道長(ふじわらのみちなが)
この世をばわが世とぞ思ふ
望月の虧かけたることも無しと思へば
藤原実資さねすけ『小右記しょうゆうき』
(寛仁二年・1018 旧暦十月十六日、新暦換算11月26日の条)
この世をば、わが世だなあと思うのだ。
この満月の欠けたところもないのを思えば。
註
日本史上名高い、いわゆる「望月の歌」。
NHK大河ドラマ『光る君へ・望月の夜』11月17日放送予定。
詠まれた時季と放送日もほぼ一致して、新たな感動にいざなわれそうだ。
望月のかけたることもなしと思へば : この下の句の正確な解釈は、意外と難しい。古来、上掲拙訳のニュアンスあたりで理解されてきたのだが、一般的な解釈としてはそれでいいと思うが、少し穿てば「満月というものは、かつて欠けたことがない」という論理的な(理屈っぽい)ニュアンスかなとも思われる。
または、この夜の月は、実際には十六夜(いざよい)で、わずかに欠け始めていたのだが、それを「欠けたところもないと思ってみれば」という、散文的・説明的な意味だという説もある。
案外これが正解かも知れない。
いわゆる「今がピーク」という感慨もあるのだろう。
当時の彼ら上級貴族の必修科目の教養で、当然作歌の参考にしたであろう『古今和歌集』には、こういった理屈の歌が少なからずあり、後世、万葉集を称揚した明治の巨人・正岡子規によって論難され、その流れは現代短歌にも及んでいる。
いずれにしても、今でいう「生涯詠」的な詠嘆の情が込められているのは間違いないだろう。
平安時代中期、事実上の最高権力者である左大臣(現・内閣総理大臣)の地位にあった藤原道長(今年の大河ドラマでは柄本佑が見事な好演)の詠んだ歌として古来著名。教科書には必ず載っているが、国語(古文)ではなく社会(日本史)なのも珍しい。
道長の長女・彰子(あきこ、しょうし / 見上愛)は、一条天皇の中宮(皇后)となり二人の皇子を生んだ。
この二人は、のちに後一条天皇と後朱雀天皇となる。
この歌は、彰子と腹違いの娘・威子(たけこ、いし)が後一条天皇の中宮に入内(じゅだい)することとなり、その立后の儀式後のめでたい祝いの宴(うたげ)で詠んだ。
この時道長は、当時としてはすでに老境といえる52歳。
その場に同席した、碁敵(ごがたき)のような政治的好敵手で、きわめて几帳面な学者肌の実力者だった藤原実資(ロバート・秋山竜次)が、その日記『小右記』にこの宴席の模様を詳らかに書き残したため、長く後世に伝わることとなった。
作者・道長自身の日記『御堂関白記』には、この夜歌を詠んだことは書いてあるが、内容は書かれていない。
その場の即興(インプロビゼーション)ゆえであろうか、「思ふ」「思へば」の重複、2句目の字余り破調、下2句の意味が今一つ分かりにくいなど、和歌作品としての完成度が高いとは、お世辞にも言えない。
いわば「文芸担当」の部下だった紫式部(吉高由里子)も達人だった、当時すでに発達していた象徴主義的な表現の幽玄微妙などどこ吹く風の、露骨ともいえる直截な表現である。
が、それにもかかわらず、凡百の和歌が裸足で逃げ出すド迫力があることはご覧の通りである。
内容から読み取れるのは、一部は実感、一部は放埓な哄笑、一部は虚勢・強がりといったところだろうか。
巷間、怪物的な自恃自矜(ナルシシズム)の典型のように批判的に言われてきたが、よく読めば、案外それほどの排他的(エグゼクティヴ)な心境を示したものではなくて、単純素朴で無邪気(イノセント)な、子供っぽい多幸感(エクスタシー)を率直に表現したものとも思える。
酒席での座興の陽気な乗り(アドリブ)ということもあり、全く共感できるとまでは言わないが、かなり情状酌量すべき余地はある。
われわれ庶民といえども、人としてこの世に生まれてきた以上、道長の何百分の一であっても、このような境地を二度や三度味わうのは悪くないのではなかろうか。
結婚や、子供が生まれた時とか、仕事で大成功したとか、そして、道長と同様、子供がすくすくと成長して、ひとかどの大人になりゆくときなど、枚挙にいとまはなけれども。
ただ、当時の権謀術数渦巻く平安国家権力中枢にあって、これほど脇の甘い太平楽な歌を詠むとは、案外お人好しの、人好きのする「いい奴」だった面があるのではないかとも思えてしまう。人望があったわけだ。
事実、長女で皇后・皇太后の彰子の女房(侍女兼家庭教師のようなもの)だった天才的スーパー・インテリジェント・キャリアウーマン紫式部をはじめ、当時の一流の女性たちにもてもてであり、あの「光源氏」のモデル(の少なくとも一人)となったことは間違いないと言っていいだろう。
もちろん、現代のような民主主義社会ではないから、作者のような権力者は威張っている側面もあっただろうし、庶民は苦しんでいたなど、言い出せば切りがないが、その時代の制約の中で、おのれの運命の中で精いっぱい生きた人の晩年の、ひとつの人生の喜びの絶唱ではないかと思われる。
・・・と同時に、この歌に、わずかに不吉な翳が射しているのを読み取るのは私だけではあるまい。
「望月」が欠けたところがないという我田引水で牽強付会なイメージの展開が、今現在の境遇がピークであり、満ちた月は明日の夜から欠け始めるという栄枯盛衰・生者必滅・色即是空・祇園精舎の無常を微かに連想させてやまない。
当時、位人臣(くらいじんしん)を極め全権力を掌握していた藤原氏の完全無欠な権柄と栄耀栄華は世を覆っていたが、すでにこの時、道長の身体は貴族社会の不健康な生活習慣・栄養の偏りや運動不足、過度の飲酒、ストレスなどによってであろうが、飲水病(現・糖尿病)に罹患しており、眼病(糖尿病性の黄斑変性症などの網膜疾患?)や脚気衝心(心臓神経症=ビタミンB群欠乏症)も患っていたという。
藤原氏の繁栄も、彼一代が頂点であり、はつかなる綻びと衰亡の予兆も垣間見せ始めていた。
彼自身、さすがに悟ることがあったと見え、この翌年には剃髪して仏門に入り、病気の治療を加持祈祷の神通力に縋る次第となった。
そんなこんなの、日本人なら誰しも持っている「諸行無常」な感受性を呼び起こす点でも、やや下手で放胆なこの歌をして、天下の名歌たらしめているゆえんであるといえよう。
僕らの世代には、松任谷由実(当時、荒井由実)の『14番目の月』の歌詞も連想される。
・・・それにしても、あと数回で終わってしまうという今年の大河ドラマは、僕個人的には歴代最高水準の大河だった。
よくやってくれた。楽しかった。
毎週、日曜日の夜が本当に待ち遠しかった。
僕にとって「光る君ロス」「まひロス」は甚大な精神的打撃になると予感される。
「ましゃロス」とか「にのロス」とか言っていた女の子たちの気持ちがよく分かる晩秋なのである。