坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道
夏に義妹さんからもろた本をやっと読んだ。坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道 中川右介著歌舞伎初心者の私にとって、興味深い内容やった。玉三郎さんのことも書かれてるけど、歌右衛門さんや養父守田勘彌さん、その時代のことのほうがボリュームとしては多いぐらい。1960年生まれの著者が歌舞伎を初めて観たのは、1985年4月歌舞伎座の團十郎襲名披露公演やったそうや。膨大な資料を収集し、比較対照作業から見逃されていた事実を再構築するスタイルで、「松田聖子と中森明菜」「カラヤンとフルトヴェングラー」「十一代目團十郎と六代目歌右衛門」「大女優物語 オードリー、マリリン、リズ」などを書いてはる。引用が多いし、文体も読みにくくて、最初は読むのに難儀した。誤植もあるし。「歌舞伎会に君臨する女帝・歌右衛門が、古参の劇評論家とともに、玉三郎を拒否し続けたけど、大衆からの熱狂的な支持を得て、玉三郎は奇跡的に立女形(たておやま)として頂点に上りつめた」というストーリーに合わせて、ちょっと強引に引用してるようにも思うた。ただそれを差し引いても、綴られてる事柄はおもしろい。三島由紀夫とのことや、発足当時国立劇場の制作部にいはった伊藤信夫氏の存在など。 章立てはこんなふうになってる。 第一章 玉三郎と三島由紀夫 莟の花の発見 ~1970年 第二章 玉三郎と守田勘彌 深謀遠慮の時期 1970年~75年 第三章 玉三郎と歌右衛門 立ち塞がる女帝 1975年~85年 第一節 桜姫 1975年 第二節 シェイクスピアと泉鏡花と三島由紀夫 1976年~78年 第三節 文化勲章と単独公演 1979年~82年 第四節 揚巻と鷺娘 1983年~85年 第四章 玉三郎とさまざまな世界 歌舞伎を越えて 1986年~2001年 エピローグ 歌舞伎座さよなら公演 あるいは御家再興 2009年~10年私が歌舞伎を観始めたのは、2007年11月の東京国立劇場。藤十郎さん、三津五郎さんなどの通し狂言 摂州合邦辻。玉三郎さんの舞台を初めて観たのは、2007年12月の歌舞伎座。ふるあめりかに袖はぬらさじの芸者お園やった。それから何度か玉三郎さんの舞台を観せてもろてる。私の玉三郎さん観は、きれいで上手で、底が知れない人。よくも悪くも歌舞伎の世界におさまりきれてないような感じ。著者はエピローグの最後で、歌舞伎座さよなら公演 御名残四月大歌舞伎のことを書いてはる。御名残四月大歌舞伎歌舞伎座改築前の最後演目が、團十郎の助六と玉三郎さんの揚巻による助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)。それを筆者は、江戸三座の座元の一つである守田勘彌家の御家再興とも見る。「役者は團十郎を頂点に頂き、その團十郎を守田勘彌家が支えるという構図を、変則的ながらも示すことで、歌舞伎界は徳川政権時代からの秩序を回復したともいえる。九代目團十郎亡き後、劇界の頂点の座は、五代目歌右衛門、六代目菊五郎、そして六代目歌右衛門とバトンが渡されてきた。その百年の空白を経て、劇界はようやく旧来の姿に戻ろうとしている。」秩序とか旧来とかっていうのはようわからんけど、玉三郎さんが守田勘彌家の再興を果たしたというのは、興味深かった。江戸三座とは、中村座、市村座、守田座(森田座)のこと。興行主として座元だけが、座を主宰し芝居小屋を経営することができたそうや。中村宗家の勘三郎さんが、平成中村座やコクーン歌舞伎をつくりだし、守田勘彌家の当主玉三郎さんが、歌舞伎以外の舞踊公演、映画監督、演出などを手がけてはるのは、お家の流れでもあるんかもしれん。玉三郎さんのこれからが楽しみや。原種ハイビスカスの開花 0輪(総計 651輪)紅ちどりの開花 0輪(総計 2輪)ベルガモットの開花 0輪(総計 15輪)今日のラッキーくじは、どれもハズレやった。1日1回のクリックで、募金ができます♪ 楽天ブックスの「ブログネタ」をブログで紹介して10万ポイント山分けに参加しよう