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2013年08月03日
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テーマ:韓国!(16888)
カテゴリ:ソウル・釧路2013

西村韓屋村コース(ソウルウォーキングツアー) に参加したソウル5日目の6月27日の続き。
ソウルウォーキングツアー

西村韓屋村コース: 朝鮮時代、中人階級や近代文学者らの生活の基盤であった景福宮西側の韓屋村
景福宮駅 - 通義洞(トンウィドン)の白松 - 通義洞韓屋村 - 通仁(トンイン)市場 - 玉仁洞(オギンドン)ユン氏家屋 - 玉流洞(オンニュドン) - 培花(ベファ)女子高 - 社稷(サジク)公園 - 景福宮駅  所要時間:2時間30分

とってもチャーミングで勉強熱心な女性、日本語文化観光解説ボランティア金さんの案内で、楼下洞のテオ書店のハルモニに会うたところまで書いた。 

紫霞門路7ギル(자하문로 7길 Jahamun-ro 7-gil)をさらに行くと、左側に「通仁洞の李箱家屋」があった。
通仁洞(통인동 Tongin-dong) 154-10
韓国の有名なモダニズム詩人・小説家の李箱(イサン)が暮らしてた伯父さんの家があった場所やそう。
2004年に一度は韓国の登録文化財に指定されたけど、1943年に当時の家を取り壊して新しく建て直したものだということがわかり、2008年に指定が取り消されたという。
建物には「チェビタバン(제비 다방 つばめの喫茶店)」というプレートがついてた。
文化遺産保存活動をしてるアルムジギ財団(아름지기재단 Arumjigi Culture Keepers Foundation)が保存して運営してるそうや。
この財団の理事長は、申硯均(シン・ヨンギュン 신연균 Yun Gyun S. Hong)さんで、中央日報会長 洪錫(火玄)(ホン·ソクヒョン 홍석현)氏の奥さん。 
李箱(イ・サン)は韓国併合の年1910年に朝鮮・京城(ソウル)で生まれ、1936年東京に渡り、翌年結核が悪化して26歳7か月の若さで東京帝国大学医学部附属医院にて亡くなった。
イ・サンは鍾路1街で茶房「つばめ」を開業していたことがあるので、そこからとったカフェの名前。
1012年10月にオープンしたようやけど、このときは開いてなかった。

細い路地をくねくねと上がっていって、弼雲台路(ピルウンデロ 필운대로 Pirundae-ro)へ出た。
そこから自動車修理工場?の横の細い路地を入って行った突き当たりに、李象範(イ・サンボム 이상범)家屋があった。
樓下洞(누하동 Nuha-dong)178  弼雲台路(필운대로 Pirundae-ro) 31-7 
ソウルでは新住所表記を進めてるけど、2013年末までは現在の住居表示と併記されるそう。
韓国で有名な近代画家の一人である青田・李象範(チョンジョン イ・サンボム 이상범1897~1972)は、1930年に建てられたこの改良韓屋に1942年から亡くなる1972年まで暮らして、作品を描いた。
建物が補修されて、昨年末から一般公開されてるみたいや。
実際に使うてはった生活道具が残っているのも興味深かった。
ボランティアガイドの金さんが「これは何だと思いますか」と教えてくれた李朝の家具は、「뒤주」(ティジュ)という米びつ。
お金が入るとまずお米を買ってこの中に入れ、食料の確保をしたそうや。
隣の家がアトリエ(画室)なってて、当時は李象範の寝室とつながっていたそうやけど、今はブロック塀でふさがれてる。
ここに詳しい写真がある。
李象範(이상범)家屋と画室
西村韓屋村コースは、まだ続く。

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最終更新日  2013年09月13日 12時15分30秒
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