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2015年06月11日
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カテゴリ:読書

図書館で借りた本。
「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密(The Imitation Game) 」の原作、
Andrew Hodges「Alan Turing: The Enigma」の翻訳。
この映画は観てないし、これからも観るかどうかはわからんけど。
エニグマ アラン・チューリング伝(上) アンドルー・ホッジス著  土屋俊・土屋希和子訳

アラン・チューリングは、1912年に生まれ1954年に亡くなったイギリスの数学者。
一流数理物理学者である著者が、さまざまな情報源から緻密に執拗なまでにチューリングの人生を描いてる。
1983年に最初の版が刊行され、2000年にダグラス・ホフスタッターによる「はしがき」が寄稿され、2014年映画化に因み改版、刊行されたときの序文が付されてる。
伝記は14世紀のチューリング家までたどって始まる。
どうしてここまでと思うほど、細かく関係者の記述や本人が書いた手紙などを積み重ねていく。
最初は読み進めるのに苦労したけど、そのうちその10代の細かい事柄が彼のそれからの人生にいかに根ざしているかがわかってくる。
10歳のころに読んだ「すべての子どもが知るべき自然の不思議」で科学に夢中になる。
12歳のクリスマスには化学薬品や実験道具をプレゼントしてもらい、大量の海草からヨウ素を抽出したりしてたそう。
13歳でドーセットにあるパブリックスクール、シャーボン校へ。
登校初日がちょうど全国一斉ストライキにあたったので、途中で一泊しながら100kmの距離を一人で自転車でたどり着き、地元新聞に報道されたという。
自分が楽しいと思う科学の実験にしか興味がないアランは、学校になじめず、いじめられたりもしたそう。
字が不正確で読みにくく、行儀が悪く、格好が見苦しく、数学と科学以外は成績も最下位やけど、ユーモアがあり陽気で繊細で目立とうともしないので、好かれてもいた。
16歳のころには、アインシュタインの一般向け解説書を読んで相対性理論を勉強し、ニュートンの定理に関わる測地線の法則を自分で導き出していたそう。
上級終了資格試験の数学の試験官の感想が、このころのアランを表している。
「A・M・チューリングにはたぐいまれな才能がある。いくつかの設問について、問題点を見破り、すぐに解答を簡単にみ見つける方法を発見してしまう。しかし、検算のために注意深く計算する忍耐力に欠けるようだ。字も非常にきたないので、それで点数を落とすことがよくある。答案を正確に読み取ってもらえないときだけでなく、自分で書いた字を自分で読み損なって間違えるときもある。彼の数学の才能は
、これら欠点のすべてを埋め合わせるのに十分な水準に達していない」
14歳のころ1歳年上の少年クリストファー・モルコムと知り合い、彼に初恋をする。
成績優秀で几帳面なクリストファーに刺激を受け成績が上がっていく。
クリストファーの影響で天文学にも関心を持ち、エディントンの「星の内部構造」や「物理的世界の本質」を夢中になって読み、クリストファーと議論する。
しかしクリストファーは牛結核証が原因で1930年に亡くなってしまう。
クリストファーの死を悼むなかで、クリストファーの両親との交流が生まれていき、やりとりしたいくつもの手紙も掲載されてる。
奨学金を得てケンブリッジ大学キングス・カレッジへ進学したアランは、「数学遊びとエッセー(Mathematical recreations and essays)」に載っていた暗号や組み合わせ文字を使う遊びに多くの時間を費やしたそう。
ジョン・フォン・ノイマンの「量子力学の数学的基礎」を読んで、論理的な思考によって可能な限り科学的なテーマにアプローチする方法に共感する。
1934年のクリスマスに小さいときに一度ももらったことがないからと母親にせがんでティディベアをもらい、ポーギーと名づける。
中心極限定理を再発見した論文を提出し優秀な成績で卒業、1935年にはキングス・カレッジのフェロー(特別研究員)に選ばれる。
1936年に「計算可能数について:決定問題への応用を含めて(On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem)」という重要な論文を発表する。
アランは、タイプライターのキーボードからをヒントに、スーパータイプライターといえるようなチューリング機械を想像した。
その機械は1行だけ印字でき、打鍵位置は右へも左へもどこまでも移動できる。打鍵位置を確定するために使う用紙はテープの形をしていて際限なく補充され、マス目に区切られており、一つの記号が一つのマス目に書き込まれるようになってる。
その機械はテープのマス目を「スキャン」して読むことができ、記号を書くことも消すこともできるが、一度に右か左へ一マスずつしか移動できない。
自動機械を定義するこれらの情報が書き尽くされると、有限規模の「動作の表」ができあがり、この表はその機械を完全に定義する。
これによって、すべての数学の問題を解くことができる「奇跡の機械」は存在しないことを証明すると同時に、いかなる機械の作業も引き受けることができる普遍的機械という考え方を示し、さらに人間の心的活動と同等の活動を遂行できる単一の機械「電気脳」が存在しうる
と論じてるそう。
このあたりの説明はむずかしくてちゃんとは理解できないけど、おもしろかった。
このころアランは、自分が平凡なイギリス人でありながら、同性愛者で無神論者で数学者であることに、そしてそれは容易なことではないということに気づく。
この年アランはアメリカに渡り、プリンストン大学でアロンゾ・チャーチに師事し1938年博士号を得てから、ケンブリッジ大学キングス・カレッジに戻るとともに、イギリス政府の政府暗号学校指令部にも雇われる。
1940年9月1日にドイツがポーランドに侵攻すると、9月3日にフランスとイギリスはドイツに対し宣戦布告する。
その翌日アランはブレッチリー・パークに疎開していた政府暗号学校に出頭。
ドイツ軍が暗号化するのに使っていたローターとプラグボードが付いたエニグマ機械の解読機械の開発に、逐次的かつ統計的な技法で取り組み成功する。
ドイツ軍の全Uボートの最新推定位置が明らかになり、一時は暗号が解読されていることをドイツ軍に悟られないように苦労するほど。
1941年の春、アランは政府暗号学校の同僚で数学者の女性ジョーン・クラークに結婚を申し込み婚約までしたけど、秋には自分から婚約を破棄した。同性愛者であることを告白しても彼女は婚約を続けたが、アランのほうが内面的葛藤に耐えられなかったそうや。
その後も二人は絆は続いたよう。
1942年11月にアランが、暗号に関する情報交換の一環として、アメリカを訪れるところで上巻は終わってる。
上巻の刊行は2015年2月20日。2段組で412頁もある。
下巻は8月31日の予定みたいや。
早く下巻が読みたいなあ。

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最終更新日  2015年07月28日 14時45分01秒
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