シーズン 27 偏見 ばれた素性
矢沢慎也は翌朝、厨房でファンのファンの音で裕子の存在がわかった。
安心していつものスタンバイに取り掛かった。その日も店は混み、裕子の顔を
見る余裕はなかった。 夜、裕子にメールを送った。 「頑張ったね」 矢沢の言葉は短い。それでも裕子には嬉しい一言だった。
夜のダンスレッスンで秋の市民ホールでの発表会の話がでた。否が応でも昼のメンバーと顔をあわせる事になる。
そして迎えたリハーサル、その後早々に引き上げ走る裕子は案の定高倉に呼び止められた。
「香川さん! お元気そうねー」 「..はい。 高倉さんも」 裕子は高倉の周りに集まったメンバーに緊張した。
「やっぱり、香川さんは夜のメンバーに混じってた方が心地よさそうね」と言われると
「私、ダンスが好きでやってますから」ときっぱり言った。
一度大胆に引退宣言してしまうと気持ちの切り替えは早い。
「明日の本番の後、上の会議室で反省会やるのよ。ぜひいらしてねー」 「いいえ、ちょっと・・」 「3000円のお弁当が出るのよ。ねえ、いいじゃない」
夫秀明との別居後、一時は裕子の空白の時間を埋めてくれた事を思い返していた。 そして・・・ 「はい、じゃあ」 と思わぬ返答をしていた。
熱くなっても優しい言葉に弱い。それでまた同じ目に合う。
本番で選曲された一曲は、インストラクターが遊び心で加えたワルツだった。短い練習だったが、裕子はその振り付けのとりこになった。ハイテンポの
ダンスと違って誤魔化しの効かないしなやかな舞は心を表現できた。
初めてのダンスは新鮮で、裕子は程よい緊張感と満足を得た。
「お待ちしてたわ!香川さん、ここにかけて!」高倉がコの字型に並べた長テーブルの一つ空いた椅子を指差して言った。 他のグループのメンバーもいるらしい。 高倉の人脈か..視線が集まる。
「さあ、いただきましょう!今日はご苦労様」
弁当が開けられ、ジュースたお茶を口にし始める中で、話は始まった。振り付けがどうの、衣装が地味、ライトが眩しすぎた、フラダンスは衣装負けしていた、若いグループにはメリハリがあって敵わない、等裕子が予想していた会話をはるかに上回るワード数に、あのファミレスでの光景を懐かしく思い出していた。
夫の浮気調査の後、酔って裕子に電話をして来た高倉里子は、まるで何事も無かったかのように皆の中心となって席を盛り上げていた。 やがて喋り疲れたのか、会話が途切れていった。そしてついにやって来た。
「香川さん、西口の街路樹で働いているのねえ」
「! は、はい。そうなんです今年から」
「息子の同級生の宮原洋介君が同じキッチンにいるのよ」
「そうですかー偶然です。彼、よく働く子です」
「ちょっと元気良すぎるけれどねえ」 元気と言う言葉は多いに皮肉が込められていた。
「不良って事ね?」
「そうは言わないけど、まあ普通の子とはちょっとカラーが違うかしら。ねえ香川さん?」
違うカラーでどこが悪い..夜に移動した裕子に興味が注がれる予感は当たった。去った者、いない者は時に話題の中心になる。今更ここにいる自分を悔いてもしかたない。
裕子は残りの弁当を食べ始めた。
「うちの隣の娘さんが顔黒卒業して、今はキャバクラよ。あそこは母子家庭で教育が行き届かないようでね。まあ、気の毒って言えば気の毒な話よ。経済も大変そうよ」
「そう、でも偉いじゃない。家の息子は相変わらず金食い虫、大学位は出てないとって、主人と無理無理行かせたんだけど、今は楽しんでいるみたい」
「裕子さんのインストラクターの金久保さんは御主人がリストラに合って、一人息子さんが大学行けなくなって働きだしたって知ってる?」
「いいえ」 裕子は次第にむらむら来るあの感情を抑えた。
「子供の話題はやめましょう」 高倉がそう言うと皆はつまらなそうに弁当を食べ始めた。それは裕子に子供がいない事への配慮か意地悪か、言葉はいったん口から出てしまえば、二度と口には戻せない。
「あのう、 ご馳走様でした。帰りますね、ちょっと用事があるから」
「あら!もったいない。まだ残っているわよ、お弁当」 裕子は割り箸を折った。立ち上がった裕子は背筋が伸び、ぐるりと周りを見渡して言った。
「一言いいたいんですが・・・不良とかキャバクラとか、リストラとか、ここの話題は嫌いです!暇つぶしに人の事、弁当のおかずにするのはどうかと思うよ! だいたいこういう社会を作ったのはここにいるこの世代の皆じゃん! 偏見と差別が言葉に出てるんだよ!
あんた等の方がよっぽど変なんだよ!、醜いんだよ! 教育が必要なのはあんたらだよ!」
消えた敬語、一言が熱弁、感染した若者言葉、そして..ばれた素性。
続く