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![]() シーン 11 「父の消息」 多希子が長い入院生活から戻ると、父は黒い額縁の中にいた。 「お父さんは?」 「タッコが入院中、仕事で遠く行ったでね」 「遠くは何処?良幸おじちゃん知らん?一緒に仕事しとったね」 「海のずっと向こうだで・・・」 「タッコは海を知らん!」 多希子は傍にあるトランジスターラジオを持った。 「お父さんはこの箱が好きだったに。 これを置いて仕事へは行かんよ」 居合わせた者は、言葉を失った。 その夜、亜由美と亨が寝静まったのを見届けた真沙は、多希子に添い寝をしようと、そっと布団を捲った。 多希子は茂夫が買ったダッコちゃんを抱きしめ、真沙に背を向けていた。 「お父ちゃんは、もう帰らんのだね?」 真沙は込み上げる思いをぎゅっと閉ざし、小さい頭を撫でた。 柔らかな前髪が指に触れると、多希子の瞳から、鈴蘭のような涙の滴がポロリと落ちた。 枕に滴が広がると、唇を噛みしめた多希子がはじめて真沙の顔を見上げた。 自分が腹を痛めて生んだ亜由美は、声をあげて泣くことで早い立ち直りを見せたが、多希子は違った。 自分を母と信じる多希子を、今はただ抱きしめるしかなかった。 「高遠原の桜の天井で、肩車してくれたんだに。 お父さんは桜の木の枝に届く位大きかったで」 闇夜に光る桜の花びらは、朝の訪れを拒むように舞っていた。 見上げればアルプス、見下ろせば天竜川という絶景に、茂夫の墓があった。 やがて両家は、四年前に逝った令子を茂夫の墓にうつした。 ふたりはこうして同じ墓の下で、永遠の眠りについた。 林 茂夫 三十二歳 永眠 林 令子 二十四歳 永眠 【ふたりは本当に離れなかったね。 ずっとここで眠るのね。 聞こえる? 天竜川の流れ・・・あれは私の永遠のオルゴール】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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