ディディ、代表引退。
たぎるような情熱を持った男が代表からの引退を決めた。オーストリア代表が最後の望みをかけたポーランド代表との決戦に敗れ、隣国ドイツへの切符を事実上逃した試合後の事だった。一度は代表の座を離れた事もあったが、98年以来のW杯出場をかけ最後の戦いに挑んだディディにとっては受け入れがたい敗北であったのだろう。彼がヨーロッパサッカー界で名を挙げたのは、カルステン・ヤンカーらと共にUEFA杯でラピッド・ウィーンの一員として決勝まで駒をすすめた事がきっかけであった(ちなみにラピッドに移籍する前はペルシャ帝国と化したアドミラ・バッカー一筋)。当時のオーストリア最優秀選手であったラピッドの10番は、強烈なミドルを装備し、小柄ながら当たり負ける事の無いフィジカル、そして正確なフィードでタクトを振るったのである。しかし、なによりもディディの魅力であったのは、その負けん気の強さと不屈の闘志だ。彼は現在オーストリアブンデスリーガのマッタースブルグで10番を背負いキャプテンを務めているが、34歳となった今も審判に食いつき、相手選手に食いつく荒くれぶりを発揮している。また、ラウール・ゴンザレスの爆発的な得点力によりスペイン代表に大敗した試合では額を切り流血しながらも最後まで体を張るディディの姿がそこにはあった。その性格の一因には若い頃に婚約者を事故で失うという悲劇があるのかもしれない。 私がキューバウアーに注目しだしたのは、彼がソシエダにやってきた事がきっかけだった。ラピッドでの活躍を見たベルント・クラウスが、ディディの獲得に動いたのだ。ちなみにクラウスは現役時代、オーストリア代表のDFとして鳴らしていた。ソシエダにやってきたオーストリアの熱血漢は、中盤で体を張り得意のロングフィードでソシエダのワイドサッカーを支えた。小柄な彼をアルゼンチンの武蔵坊弁慶のようなゴメスがサポートし、パートナーには「ムティウ」・アデポジュというナイジェリア代表の隠れたパサーが選ばれた。彼らと若き左利きの鬼才デ・ペドロで形成する中盤とシェフィールドでの失敗から立ち直ったダルコ・コバチェビッチや、ポルトガルの暴漢リカルド・サ・ピントが絡む攻撃は魅力的で、3位という好成績を叩きだしたシーズンはソシエダファンには忘れらない思い出だ。またラ・レアルのファンからも愛され、交代の際には「ディディ」コールがアノエタに響いたものだった。そしてキューバウアー自身も代表では8番を背負う事が多かったが、何度か思い入れのあるソシエダの22番をつける事もあった。しかしクラウスの解任により出番を失い、ドイツのヴォルフスブルグへと移籍。ドイツで2シーズンを過ごし、キャプテンも務めるなど活躍したが2002年からは母国に帰り、現在も尚熱いプレーを披露している。残念ながら、自身2度目のワールドカップ行きを決める事はできなかった。しかし長年共にラッピドや代表でプレーした「アルプスのマラドーナ」アンドレアス・ヘルツォークの良き参謀としてプレーしたように、彼の系譜を次ぐ同じ左利きのアンドレアス・イヴァンシュイッツの成長を見守れた事は唯一の救いであったのかもしれない。またロランド・リンツという素晴らしいストライカーがいる限り決してオーストリアサッカーの未来は暗くない。ポーランド戦でも途中出場ながら2ゴールを叩き込んだオーストリア製ロナウドは、先日のオーストリアブンデスリーガでも2ゴールを叩き込んでいる。「ロナウド」リンツは近い将来、代表でのリベンジをドイツのクラブで果たすことだろう。彼ら若き才能の時代を感じとった事が情熱を注いだオーストリア代表からの引退を、ディディに決意させたのだとすればファンとして何も言う事はない。これからはマックスブンデスリーガで、デビューしたての血気盛んな若手のように審判に食いつき、黄紙をもらう34歳のディディの姿を楽しませてもらおう。