カテゴリ:愛すべき(?)トンデモ映画
きょうは菅原文太の新東宝時代の超カルト映画をとりあげます。
'50年代後半、元弁士の大蔵貢社長が、倒産寸前の新東宝をなんとか立て直そうと、 世間の良識ある人々から顔をそむけられる、その名もびっくり「エログロ路線」で、 低予算のキワモノ映画を次々世に送り出したのですが、 我らが文太さん主演の「九十九本目の生娘」('59年)は、 新東宝エログロ映画の中でも特に際立った迷作(名作ではありません)です。 まったく、上のポスターからして「キワモノ」の匂いが、ぷんぷん漂っています。 ストーリーは、とある山にハイキングに来た若い娘2人が行方不明になり、 それを若き文太さん扮する、熱血漢の村の巡査が捜索に乗り出します。 折しも山奥の集落では、10年に一度の「火作りの祭」なるものが行われ、 祭では刀を作るのですが、その時に集落の人々は生娘をいけにえにし、 生娘の血で刀を鍛えるのがならわし‥‥(怖え~~) ところが、ハイキング中に集落の者にさらわれ、いけにえとなった娘が処女ではないことがわかり‥‥ 「山奥の集落」と簡単に書きましたが、映画で見ると、山また山を越え、その奥深く‥‥みたいな、 とんでもなく人里離れた集落でした。 この「集落」の扱いが、被差別部落そのものだということ、 映画がその「集落」を、ことさらに時代遅れで、不気味に、さらに言えばある種の悪意をもって描いているようにも見えるということ、 以上の理由から、一度20年ほど前にビデオリリースされたものの、 以降はまったく(正規では)ビデオ化されていないのです。 しかし近年DVD化されました。(下を参照!) 新東宝ハンサムタワーズ(長身の美男子の意。大蔵貢ってネーミングセンスゼロ!)の一人として 颯爽と(?)主役でスクリーンに登場した文太さんですが、 この映画ではもう、とてつもない大根です。 セリフは早口で聞き取れないわ、感情表現は大げさすぎるわ‥‥ その下手さでは、新作「ゴジラ」('84年)の沢口靖子といい勝負ですね。 それと文太さん、若い頃はいわゆるイケメンなんです。 「これがあの『仁義なき戦い』の、汗臭い、アクの強い文太さんか?!」と、モイラは名画座で観た時、 心の底から驚きましたね。 「集落」のいかにもな描写にも、いささかうんざり。 グラマー女優の代名詞・三原葉子(ポスターにはわざわざ「グラマー」という肩書きまであり!)も、 ほとんどセリフがなく、あのボリューム満点の肉体をさらすだけというありさま。 それでも、生娘をさらう老女役の五月藤江サンの演技は、なかなか不気味でうまいなあと感心しました。 カルト映画ファンの中には、この作品を絶賛する人がいるけど、 モイラはエロもグロも中途半端だなあと思います。 どうせエログロやるんだったら、中川信夫監督の「地獄」みたいに、 見世物に徹してエグさ満点でやらんかいっ!! 監督は新東宝エログロ映画をたくさん撮った曲谷守平。 脚本はホラーの傑作「吸血鬼ゴケミドロ」の高久進。 映画ファンを自認する方々、必見(?) にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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