【粗筋】
生意気な権助を懲らしめようと、旦那が「し」の字を禁じた。権助が言えばただ働き、主人が言えば好きな物をやるという約束。権助も気を付けているので、4貫444文(しかんしひゃくしじゅうしもん)の銭勘定をさせれば「緡(さし)」を使い「足がしびれる」から、一つくらいは言うだろうと罠を仕掛けた。ところが足がしびれても、「あんよがよびれた」と言うし、勘定も、
「よ貫よ百よ十よ文。2貫、2貫、2百、2百、2十、2十、2文、2文。それが駄目なら、3貫、1貫、3百、百、3十、十、3文、1文……」
「こいつ、しぶとい奴だ」
「はは、出たな。(両手で前の銭を引き寄せながら)この銭はおらの物だ」
【成立】
天明6(1786)『十千万両』の「銭くらべ」は、旦那と小僧で、小僧が、鍋屋が木の鍋を作っていて、「それでは尻が焦げるだろう」と言わせる。本来は前座噺だというのは、丸暗記で喋らないとうっかり「し」が出てしまうからだろう。大真打もよく演じる。緡というのは銭をさす計算器であるが、現在は使われない。それでも穴空き銭を扱う手つきができないと演じて様にならない。落語研究本で「かつぎや」の一部が独立したものとするのは疑問。
【一言】
やはり「間」のむずかしい噺、それからこの噺は、しばらく演らないで、こんな噺ぐらい、などと馬鹿にして演るとうっかり本当に「し」の字が出てしまう。ある大看板の師匠が演ってうっかり、「し」の字が出てしまい、どうにもこうにもならなくなったということがありました。芸というものは、絶対に馬鹿にしてはいけないものです。(三遊亭圓生(6))
★ 実際、つい出てしまうのである。柳家小さん(2)の明治22(1889)年の速記「かつぎや」の枕で、客と主人の会話として演じている。客が「親類で……」と言おうとして慌て、「ヨン類でヨン睦会をもよおしまして」と「し」を二つも重ね、これに対して主人も「ただあっちの方てェのはおかしいが」と出ている。また、明治29(1896)の柳家小さん(3)の速記でも権助に三度、興津要の文庫本『古典落語・続』でも一度出ている。客も、間違って言うのを待っている嫌な人がいるので、言ってしまったらおしまいである。寄席でうっかり出てしまった例に出会ったが、二人は、本人が気付かずに先へ進んだ。いや、気付かないふりだというのは、台詞が一瞬止まったから分かる。まあ、こうするしかないでしょう。一人は開き直って「今のは聞かなかった事にして下さい……って言うとまた一つ出るなあ」と本筋に戻って行った。
完璧だったのは圓生、生涯ノーミスだったという。柳家市馬も二度聞いてノーミスだった。市馬は、「しぶとい奴だ」の後「しまった」で落ちにしていた。
【蘊蓄】
4は「死」に、9は「苦」に通じるので嫌われる。西洋では、キリスト受難の13日、キリストを裏切った13番目の使徒に因んで13が縁起が悪いとする。日本で櫛を売るのに「94」では縁起が悪いというので、数字を合計して「十三屋」とした小間物屋がある。これは「とみや」と読み「富」につながる。上野にあるのはご存じの通り。我が町取手にもある。