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テーマ:落語について(3026)
カテゴリ:落語
【粗筋】 堀越村に与平次とおるいという夫婦がいた。このおるいは絶世の醜女だが、心掛けが良く夫婦仲も極めて良い。雪の夜に行き悩んだ侍親娘を泊めるが侍はその夜死に、娘は与平次が世話をすることにした。侍は北面の武士・松本丹下で、悪人の誹謗によって都落ち、紀州と大和の境にある堀越村までたどり着いたのである。 村ではこの美しい娘、お玉の噂でもちきり。あばばの茂兵衛という男がこれを無理に口説いて夜這いを仕掛ける。お玉の方では与平次と相談をし、代わりに牛を布団に寝かしておく。忍んできた茂兵衛、闇の中で牛の角を持って振り回すと牛も我慢が出来ずに鳴く。びっくりした茂兵衛は表へ飛び出した。友達が、 「どうだ、うんといわしたか」 「いや、モーといわした」 【成立】 『御津郡昔話集』は、夜這いに来て牛が鳴いたのに驚いて逃げ出したというもの。 前半は人情噺のような展開で、その後どうなるかと期待させるが、何もない。これと、布団に牛を寝かせるというアンバランスが対照的。そこが面白いから「お玉牛」だけでなく、「堀越村」が付く方がいいと思ってここに置く。 小島貞二編集の本によれば、落ちは牛の鳴き声に「もうこりごり」の「もう」を効かせたものだと書かれているが、女のよがり声「ええ、もう」「ああ、もう」が効いているはずだと思うが、誰も指摘していない。 桂ざこばが演ったのは、現場にお玉の父親が現れ、「まだ来るつもりか」「いいえ、牛だけにモー来まへん」と落としていた。 子供の頃、牛とは知らずに口説きながら体を触るのを見たが、角に触って簪だと思い、布団に手を入れて「寝ぶくれする質やな」くらいはいいが、「下の方濡れとるで」と匂いを嗅いで絶句するような演出はもう……見てて嫌になった。 後半のみを独立させて「おたおたの太助」「牛の嫁入り」とも大阪でも発端を省略する場合は題名の「堀越村」を省略することが多くなったようである。前半と後半のアンバランスについて次のような考証がなされている。 無住法師の『沙石集』巻二ノ六に、インドの説話があるが、「常ノ物語ナレバ、委(くわし)ク是ヲカカズ」としており、かなり世に広まっていたものと思われる。その後、最後の著作となった『雑談集』巻五で、「由緒ある娘が鞍馬へ参詣すると、これに思いをかけた老僧が、天主の声色を使って娘を奪う。これを櫃に入れて運ぶ途中、二位の中将が見つけて牛と入れ替える」という内容を紹介している。 これをもとにした室町時代のお伽草子『ささやき竹』は次のようなストーリーになる。 二条関白が蹴鞠見物に来た娘を見初めるが、名も所も聞かずに別れて、占いで娘の守り神が毘沙門天と出たので、鞍馬の毘沙門天に日参するようになった。一方娘は婿探しのため鞍馬の西光坊を呼んで毘沙門の法を修するが、この西光坊が娘に惚れ、竿の節を抜いた「ささやき竹」で毘沙門の声色を使って娘を奪う。ところが御泥が池まで来ると人夫は足腰が立たなくなり、そこへ二条関白が通り掛かり、櫃に入れられた娘と牛を入れ替える。西光坊の方は娘でなく牛が届いたので大あわて、最後は天狗につかみ殺されてしまう。 さて、「堀越村」では前半と後半とが全く雰囲気の違う話となっているが、南方熊楠の随筆『美女が猛獣になる話』には、 1:中国唐代の『酉陽雑俎』では、賊にさらわれた娘を熊と入れ替えて助けるのが則天武后の長男。 2:カシミール11世紀の『カター・サリット・サーガラ』では、仙人が商人をだまして娘を籃で川に流させるが、途中で猿と入れ替えて助けるのが王子。 3:インドの古典『ヴェーター=パンチャヴィンシャティカー』では、男が仏の声色を使って娘を手に入れるが、隠しておいた娘を虎と入れ替えて救うのが王子。 という三つの話を紹介している。「3」の男の手口は落語との関連もあるが、娘はいずれも貴人に救われ、幸運の訪れを予感させる。日本の昔話でも、関白、殿様といった人が娘を発見する。その相手となる娘も、ある程度の身分でなければならない。そのために「お玉牛」では娘の出生を明らかにする前半部がつけられたのであろう。ただし、落語では娘を救うのが、牛飼いや肥とりである。 ともかく、前後のアンバランスは面白い。残してほしいものである。
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Last updated
2026.08.18 05:15:40
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