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テーマ:落語について(3019)
カテゴリ:落語
【粗筋】 あまりにそそっかしい熊五郎、信心で治そうと堀之内の御祖師様に参詣することにした。女房に弁当を作らせて朝早く出掛けるが、最初から迷子になって、「私はどこへ行くんでしょう」 逆方向へ歩いていたことが分かって戻り、道を聞こうと思ったら我が家……やっと正しい道を聞いて、さあ、この辺だ、落ち着いて聞こうと家に上がり込むと、「道をお尋ねします」「どこへ行くんです」「さあ」「あなたお題目を唱えてましたな。お祖師様では」「そう、それ。最初から知っていてなぜ隠してるんだ」「お祖師様ならここですよ」 「あなたがお祖師様」「この先です。行けば分かりますよ」 やっとたどり着いて、賽銭を投げようとして、小銭を手にして財布を放り込む。弁当を開けると、枕を腰巻で包んでいる。急いで帰って、「おい、何で腰巻なんぞを持たせた……笑ってやがるな。何がおかしい」「お前さんの家には隣だよ」 慌てて自宅へ入り、「ただいまは申し訳ありませんでした」 子供を連れて湯屋に行くが、床屋で裸になったり、湯屋でよその子を裸にしたり……子供の背中を洗ってやると、 「お前大きくなったな。背中が広くなった。おい、こんなに広くなくてもいいんだ。どうなっているんだ、こりゃあ」 「お父っぁん、羽目を洗ってら」
【成立】 安永2(1773)年『近目貫』の「観音」は、賽銭を上げようと懐手でさぐり、一文だと判断して投げると、四文銭。「南無三、取り違えた」と言うと、観音が「苦しゅうない」」というもの。粗忽者のネタに同じように見ないで選ぶ、金貨にはギザがあるってんで、ほいと投げるとキラッと光るから「南無三」というものがある。 同年『今歳咄』二篇の「門ちがい」は、医者が急病人の見舞いに行くのに、脇差と間違えてすりこ木を差して行く。向こうでやっと気付き、急いで帰って女房を叱り付けると、お隣の家。これは失礼と逃げるように自宅に戻って、「先ほどは失礼いたしました」……翌年の『茶のこもち』の「そそう」も同じ。 寛政10(1798)年『無事志有意』の「そそう」では主人公は粗忽なかみさんになり、堀の内にお参りに行き、下女と湯に行く。入口で額をぶつけ、下女に「痛くはなかったか」と尋ね、隣のかみさんの足を洗って、「何を冗談しなさるか」と言われて「これはごめんさない私のおみ足と思いました」 立川談志(7:自称5)は「俺、そそっかしいんだ。落ち着くと、落ち着かなくなっちゃだめなんだよな」 橘家圓蔵が円鏡時代に、「あのォー」「何です」「私どこへ行くんでしょうって聞いたら、あんた驚くでしょう」 桂文治(10)は、「あわてもの」という題で浅草寺にお参りに行く。一門ではこれが受け継がれている。
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Last updated
2026.08.19 06:13:12
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