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すっかりご無沙汰していましたが、編むものがなかなか決まらなくて更新できずにいました。
まずは編みたいものが決まるまで数日かかり(季節の変わり目って何を編むか悩みませんか?)、次は糸と色で悩み(手持ちの毛糸を使うため^^;)、試し編みしてはほかのデザインにしたほうがいいか、ほかの糸にしたほうがいいかと悩み…。 まぁそれもこれも、編み物の楽しさの一部の楽しい悩みなんですけどね! これで行くと決まるまでにずいぶん時間がかかりました。 今回は、マフラーのように縦方向に編んでいく台形のしましまショール(以前編んだ葉っぱのマフラーみたいなタイプ)を編もうと思っていて、試し編みではこんな感じ↓ 写真では区別しにくいけど、グレーとグレーっぽい水色の2色。 しましま部分の2色の糸と別に、レース部分に1玉、計3玉使っています。 自分で見ても、なんじゃこりゃって出来…。 パターンの通りに編んだつもりだったけど、英文の理解力が足りないせいかアホなせいか、しましま部分とレース部分の糸を替える(マーカーがあるところ)ときに糸同士を絡めないと編み地が二つに分かれてしまう(そりゃそうだ)と気づくまでしばらくかかり、しましま部分とレース部分とのあいだが穴だらけです(下の印刷の文字が見える…) この段階で、レース部分がないただの2色しましまショール(具体的にはBaktus scarf。台形じゃないけど。)にするかすごく悩んだのだけれど…。 元のデザインでは太めのレース糸くらいの太さの糸で編むところを、手持ちの糸でやりくりした結果、合太くらいの太さの糸で編むことになったので、レースの繊細さもなく、しましまのショールが欲しいのにレース部分が大部分を占めるショールになりそうだったので、レース部分を少しだけ削って編みはじめることにしました。 やってみてダメなら解けばいいことだし! 1日目は編みはじめのトゲトゲ3つぶん(3模様ぶん)を編むのに3時間かかったので、こりゃぁ先が思いやられるわ~やめようかな~、と思ったけれど、2日目は3つの糸玉の扱いと編みかたの法則がわかったようでちょっとスピードアップしました。 まだしましまとレースのあいだは気をつけないと穴が開きますが(実際、1個穴が開いている)、手におえないってほどでもなく何とかなりそうなので、続けて編んでみようと思います メモ パターン:Sencillo shawlette by britt schmiesing(ラベリーの無料ダウンロード) 針:玉付2本棒針8号 糸:ごしょう産業 彩りスムース(絹52%、毛48%)30g71m 色番36(水色)、41(グレー)
前回の更新のとき、震災から一年たったことについて何か書こうかと思ったのだけれど、前日(11日)のテレビの一大イベントというかお祭り騒ぎのような浮かれ具合に腹が立って何も書けませんでした。 他局との差をつけたいんだろうけど、演出が鼻について鼻について、気分が悪いったらありゃしない! 始まるまでは一日テレビにかじりついて見るつもりだったけれど、ザッピングしながらしばらく見て、うんざりしたのでもう見ませんでした。 しかもそのあとはほとんど震災についての報道はないし、やっぱりね。という感じです。 来年の3月11日はどうする気でしょうね~。 3年くらい毎年特集したら、あとは5年とか10年とかキリのいい年にしかやらなくなっちゃうのかな…。 私は見なかったからわからないけれど、あのあと、がれきの受け入れが少し進みはじめたようなので、その点についてはテレビのお手柄なのかもしれないですね。 テレビの話から入ってしまったけれど、テレビ関係なく私個人としては、一年たっても毎日のように地震があるので、東日本大震災は終わったものではなく続いているものです。 私が住んでいるところは地震活動が活発なせいでそう感じているのですが、きっと、地震や津波、原発事故のせいで、仮の家暮らしをしている人や、家族離れ離れに住んでいる人、大事な人を失った人など、以前の暮らしに戻れない人たちの中には私と同じように感じている人もいるでしょう。 関東の私の住んでいるあたりでも、取り壊さないと危ない建物はずいぶん片付きましたがまだあるし、屋根瓦は直せた家より壊れたままの家のほうが多く、お墓も墓石の大部分は起こせたみたいだけど石灯籠や石碑、一部の墓石などは壊れたまま。 全壊や半壊の家を取り壊したあとに新しく建った家もあるけれど、更地のままか駐車場になってしまった土地が多く、閉めた店も多く、街は様変わりしました。 校舎の半分が使えないまま不自由な授業をしている学校もありますし、市のがれき処理はまだ終わらず(今壊している家もあるんだから出続けるわけで、終わるわけがない)、市庁舎も壊れて使えないまま取り壊しもされず、津波で壊れた堤防は土嚢を積んだまま。 ひび割れ、液状化、地盤の沈下で応急処置のみだった道路は本格的に修理したところもありますが、いまだ地震が多いので結局はいたちごっこ。震災後ずっと通行止めの道もあり、漁港は壊れたまま船が打ち上げられており、河川工事もようやく始まったところです。 被害が甚大だったいわゆる被災三県ではない茨城県でも一年たってもこの調子なのだから、彼の地ではいかばかりか。 被災三県はもちろん、地震のほかに津波被害もあった青森県や千葉県、内陸でも地震の被害があった栃木県や埼玉県、被災三県でも津波の被害を免れたところなど、報道されることが少ない場所の被害や復興の具合も気にかかります。 報道されなくても、報道されることが減っても、私は気にかけていようと思います。 家族間で震災に対する温度差を感じることも多少ありますが、これは、その土地に住んだことがあるか、縁者や友達がいるか、思い出があるかでその土地に対する思い入れが違うので、仕方のないことだと思っています。 つらつらと思うところを書いたのでまとまりのない文章になってしまいましたが、今のところはこんな感じです。 震災についてのコメントは書きにくいでしょうから、スルーしてくだすって結構ですよ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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