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2005/07/02(土)19:08

偏見

ひとりごと(96)

偏見 それは自分だけの僅かな経験を通して法則化したものや、 自分が信頼する人(権威)の考えを鵜呑みにして、できあがった誤った概念によるもの。 人の悩みの多くは、偏見が原因ではないか? 自分の概念と現実とのギャップや他人が持つ概念とのギャップに悩んでいる人が多いように思う。 恐らく人は、多かれ少なかれ偏見というものを必ず持っているだろう。 僕も過去に持っていた偏見を今になって恥ずかしく感じることが多々あるし、今後も自分の偏見に気付くことが沢山あるだろう。 偏見が極端な人は本当に損だと思う。 例えば血液型性格判断を鵜呑みにして、「僕はA型だからB型の女性とは気が合わない」と信じ込んでしまって、B型の女性をいつのまにか敵にまわしてしまっている人。 そういうこと鵜呑みにする人は、恐らく態度にも表れ、人間関係に何かしら問題をかかえてしまうように思う。 とくかく、何でも、こうだと決めつけてしまう人は、人生うまくいかない。 そもそも、この世の中に、どれだけ確かなものがあるのだろうか? 近ごろ、論理思考が重要だと言われているが、これにも限界がある。 論理思考を開始するにあたって、前提となる情報が必要だが、そもそも、その前提というものが正しいのか?という問題がある。 コンサルティングのプロセスにおいても、まず現状分析というフェーズを設け、結論を導くための根拠を整理するのだが。このフェーズで集めた情報が、本当に正しいか?と言われても、はっきりと肯定はできない。 現状分析のためにヒアリングやアンケートなどを行っても、その回答が、正直な回答かどうかは回答者しかわからない。 だからと言って完全に正しい情報を集めようとしたら、いつまで経っても結論を導くことはできず、意思決定が遅れ、環境変化についていけない。 ビジネスは時間との戦い。不確実な中でも、より確実な答えを出していかなかれば勝ち残ることはできない。 だから前提が崩れたときのために複数の仮説を用意しておき、切り替えができるようにしておく必要がある。 ちょっと難しい話になってしまったが、要は、 何かうまくいかない時、もともと自分が持っている概念が正しいのかどうか?ということを顧みることができると開けるのではないか? ということ。

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