麺聖のうどん・歌舞伎・文楽・城・国宝・博物館・グルメの旅(ブログ版)
PR
プロフィール
麺聖
麺聖のブログへようこそ! 麺聖のうどんグルメの旅のホームページを作成してきましたが、ブログ版を作りました。 うどん・歌舞伎・文楽・城・国宝・博物館・グルメそして世相について書きます~ コメントは、ブログと直接関係ない内容のもの(麺聖の判断による)は削除します〜了承ください〜
カレンダー
バックナンバー
カテゴリ
日記/記事の投稿
コメント新着
キーワードサーチ
< 新しい記事
新着記事一覧(全4401件)
過去の記事 >
昨日は本島へ。正覚院の25年振りの重文 秘仏公開へ。 地元では、やまでらと呼ぶ真言宗醍醐派の大本山 妙智山 正覚院 観音寺。 いつも空いてる港の駐車場は混雑、でもフェリーはそこまでではない。泊まりがけの人が多いのかな。でもそのうち満席近くに。海水浴客、法事客、仏像の解説書を読んでる客もいる。 公開に合わせて港から無料のジャンボタクシーが送迎。1回目で2人乗れなかった。年寄りの供養塔を過ぎて細い山道を登って行く。10分ほどで到着。 書院か客殿らしい建物で多くの人がお勤めをしてる。その前で2000円の拝観整理券を配布、82番目、お接待で団扇もらった。 正覚院は理源大師(聖宝)の誕生地という伝承がある。没後何百年も経った頃から記録に表れ始める。明治の裁判で、本島正覚院は聖宝の誕生地、沙弥島は母(綾子姫)御着船のところなりとの和解になる。この母は空海の実家の佐伯家に縁のある人のようで布教のため教団が流布させた伝承に思える。 鐘楼の脇を通って仁王門をくぐり参道の石段を下りてみる。下から見上げると石垣と門は歴史と塩飽の財力を感じる。ただ仁王門は屋根をトタンで補修してる。 社寺でのこの手の本家争いは良くある。江戸後期、空海が誕生したとされる屏風ヶ浦の場所が争いになり、嵯峨御所の御理解書などを経て寺社奉行により、善通寺(丸亀藩領)に決まった。寺社奉行の論拠の一つは父の屋敷が善通寺だったこと。でも、私は善通寺の多度郡に住んでる者(丸亀藩領)だけど「玉藻帰る所の島、豫樟日を蔽すの浦」と空海が書いてあること、空海の時代が妻問婚だったことからも母の実家の海岸寺奥の院or仏母院(多度津藩領)説が、当時の海岸線が善通寺辺りまで後退してなければ(考古学的には善通寺は海に面してない)、妥当と思ってるが…。 石段を登りお堂にお参り。仁王門前の石段、観音堂前の石段と歩いて参拝すると2回登ることになる。お堂が3つ並ぶが、観音様は真ん中の観音堂に安置されてたようだ。向かって左の大師堂は半ば朽ち果ててる。 そして収蔵庫へ、空調もなく5人も入ると窮屈に感じる大きさ。写真撮影禁止。ちょっと暗いので、暗いところで利き目が見えない私には単眼鏡も使えない。まぁ手が届く距離に近づけたのでちゃんと見られた。目は玉眼ではないのだな。 重文は、いずれも鎌倉時代の木造観音菩薩(不動明王/毘沙門天)像、線刻十一面観音鏡像。 お接待のそうめんをいただく。歩くと40分はかかるようだ、無料の送迎タクシーがないと多分たどり着けなかった。凄く暑かった、もう島内の探訪もグルメも求める気力はない。 拝観した後、すぐにタクシーに乗り、何も見ずに予定していた便より早いフェリーに乗り戻った。公開は昨日と今日、お寺の行事とお接待は昨日のみ、今日はフェリー往復1070円が無料になる日、かなり混雑しそう。
麺聖の重文<宗光寺山門>の旅 2026.08.10
麺聖の重文<広島>の旅 2026.08.10
麺聖の重文<呉>の旅 2026.08.09
もっと見る