麺聖の城<脇城>の旅
昨日の午後は、重文を見た後、うだつの町並みをブラブラ。そこで気付いた。元々ここは城下町だ。城の歴史はそれ以前にも遡るが、徳島藩筆頭家老の稲田植元(宗心)は脇城に入った。うだつの町並みはその城下町(湊町)の位置付け。一国一城令で1638年に廃城になった後は、町は物流の拠点として発展。蜂須賀家政が阿波国18万石を与えられ入国した際に阿波国内にあった既存の9つの中世城郭を改修し「阿波九城」という支城を整備した一つ。九城は、一宮城・撫養城(岡崎城)・西条城・川島城・大西城(池田城)・海部城(鞆城)・牛岐城(のち富岡城)・脇城・仁宇山城。町の北にある比高60メートルほどの城山に登ったが新しめの石碑があるだけで案内板がないのでまるで分からない。奥に進んでくと、竹藪の奥にあるの石垣っぽいなぁ〜。脇城の麓に稲田氏の菩提寺貞真寺。曹洞宗永平寺派の寺らしいが稲田氏は蜂須賀氏の淡路国領有に伴い洲本城代として移り菩提寺も江国寺になったので墓は2代だけ。なお稲田氏は知行地としての脇町はそのまま支配し続けた。寺は火災で門を残して焼失したそう。近年本堂が再建された。寺の西側が屋敷跡とされる。城山も元々は寺領。東にある浄土宗の虎渓山 清雲院 東林寺の山門も稲田氏の寄進らしい。脇町は撫養街道と讃岐街道との結節点であり吉野川の水運の拠点でもある。稲田氏の興した藍、廃城の後も江戸時代は藍の集散地として栄え、明治に入り外国産が藍が入り廃れた後は養蚕業で栄えた。この富の蓄積がうだつの町並みを作った。現在は脇町南町として重要伝統的建造物群保存地区になってる。古地図によると南町のうだつの屋敷の南側には、吉野川の本流が石垣を洗いながら流れてて船着き場となってた。ここに今も何らかの形で川が流れてると多分すごく美しい景色なのにと思う。町並みを歩いてて将棋の小野十二世名人の実家発見!宿屋だったそう。重伝建地区を東に抜けて橋を渡ると脇町劇場オデオン座。1934年芝居小屋として建てられた。脇町には芝居小屋が4軒と映画館が3軒あったというからその賑わいが分かる。回り舞台も奈落も楽屋もある。スッポンはなかったみたい。こうしてみると我々はデジタルや家電や車にお金を吸い取られてるから便利にはなったけどその代償も大きい。昔の方がある意味贅沢だったのかもと思う。