他人様のために生きない発想
以下は高木さんから頂いたお手紙です。今の日本含め、世界の状況を正確にとらえていました。内容に共感し共有できる方もいるのではないかと思います。高木さんは、お金の学校の先生をしている人です。以下転載記事。ここのところ、目まぐるしく情報が更新され状況も変化し続けていますがこういう時こそ、落ち着いて情報を集め、精査し自分が納得のいく答えを出せるように注意しましよう。今日は、ここ数ヶ月毎日のようにテレビやネットで話題に上がっているお注射について。結論から申し上げますと、私はこの件に関して、あなたを含め誰がどんな決断をしても自由だと考えています。というより、誰にも強制をする権利はありませんので。その結論(個人の意志の尊重)を踏まえた上で見ていただければと思います。まず大前提として抑えておかないといけないのが「mRNAワ○チンというのは、人類で始めて打たれているものである」という事実です。この騒動が始まるまで地球上には誰一人このタイプの注射を打ったことはありませんでした。もちろん、100年ほど前からmRNAの注射は研究がされていますが現時点で全ての動物実験は失敗しているということ。これも事実として抑えておかなければいけません。そこへきてわずか10ヶ月で特別承認された注射なので忌避する考えにも理解を示さなければなりません。もちろん、打つという選択にも同様のことが言えます。私は(かなり勉強はしましたが)こういった科学の専門家ではありませんのでやれ○○が入ってる!とか打つと○○になる!とかっていう話はあくまで「結果」としてのみ受け取っています。※このように、結果や経過から効果を推測するのを「疫学的観察」と言います。要は、○○の成分が人体に☆☆な影響を及ぼすという文節ではなく打った結果、○○という症状が出た人が☆☆%いるという結果から、その効果を推測するという考え方です。その結果、私個人としては「打たない」という選択をしました。理由は簡単で、それこそ打つと死ぬとか色んな説がありますが私は疫学的観察の結果「何が起こるかわからない、不明確すぎる」という点において、打たないという選択をしました。これもまた、個人の選択ですので誰かに何を言われるものではありません。しかし、今日の本題は実は注射ではなく注射を起点として起こっている大規模な国民の分断についてです。今、テレビやネットで大々的に喧伝されているのが「注射は自分ではなく、周りの人のために打つもの」という声です。当初、感染予防と重症化予防に効果があるという触れ込みで入ってきた注射ですが気付けばそんな効果はなく、7000万人以上が接種をしても陽性者は増え続けました。最近は減ってきていますがこれは自然減です。去年もそうでした。夏から秋にかけて下がりそして冬にまた上がってくる。これは一般的な風邪の流行と全く同じ動きです。冬は乾燥するので、空気中の水分子が少なくなります。すると、夏は水分子に激突して地面に落下していたウイルスが落下せず、そのまま空気中を漂い続けることになります。これは中学レベルの化学の話なのでわかると思います。例えば世界で最も接種が進んでいるイスラエルでは、陽性者が激増しています。イスラエルの人口は1000万人弱ですが日本(人口約1億2500万人)陽性者:154万6,643人死者:16,279人イスラエル(人口約934万人)陽性者:110万4,971人死者:7,129人と、数字を比較するとわかりやすいと思います。日本人口に対する陽性者率→1.2%、死者→0.013%イスラエル人口に対する陽性者率→11.8%、死者→0.076%ちなみに、イスラエルは12歳以上の78%が2回接種済みです。比率を計算すると、驚くべきことにイスラエルの人口比陽性者は日本の9.8倍、死者は5.8倍となります。これが何を示唆するものなのかそれは個々人がしっかり思慮を深め、学び、判断するべきことだと考えます。しかし、少なくとも数字から読み取れる事実として言えるのは「打っても陽性者は増えるし、死者も増える可能性が高い」ということです。つまり、当初は感染予防や重症化予防を謳っていたはずの注射がその効果が見られないどころか他国では真逆の相関が出てしまったということ。 「自分ではなく周りの人のため」というルートへ路線変更したわけです。特に日本人は道徳心が高く謙虚で奥ゆかしい国民性として知られているので自分ではなく他人のためと言われると、多くの人が「その通りだ、素晴らしい考え方だ」と礼賛します。しかし、本当にそうでしょう?あなたが周りの人のために打ったとしてその結果、今日本中で報告されているような症状や最悪のパターンを迎えてしまった場合、残された家族は「それでも周りの人のためになるからいいんだ」と、思えるでしょうか?もちろんそう考える人もいるとは思うしそれを否定する権利は私にはありません。しかし私は、やっぱり家族や身近な人を守る方が大事だと思うのです。そもそも、人に迷惑をかけないように生きるってそんなに正しいことでしょうか?↑これが今日最も問いたい題材です。人間は生きている以上必ず誰かに迷惑をかける生き物です。インドでは、生きていれば人様に迷惑をかけることは必ずあるから他人から迷惑をかけられても許せる人間になりなさい、と教えるそうです。個人的には、このインドの教えのほうが遥かに建設的で立派な人間に育つと考えています。人に迷惑をかけないように生きている人は逆の立場(迷惑をかけられる側)になったとき烈火の如く怒り狂う人がいます。そこまでじゃないにしても「人に迷惑をかける行動をしたあいつが悪い」と思う人は多いでしょう。しかし、誰にも迷惑をかけずに生きている人間など果たして存在するでしょうか?誰だって誰かの世話になり、誰かの手間のおかげで生きています。であれば、人に迷惑をかけないように縮こまって生きるよりも誰かに迷惑をかけられたときに、笑って許せる人間でありたい。それが今起こっている大規模な国民の分断を鎮める一つ大きなヒントになるのではないかと思っています。ここまでが高木さんから頂いたお手紙。昨今の状況からすると、とても勇気ある発信だ。これからの思考の一助になれば幸いです。