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今から10年以上前、あるピアノ教室の発表会のお手伝いで僕はアコギを弾きました。その生徒さん(当時中学生の男子)がピアノではなくギターを習いたい、習うなら自分のピアノ演奏をサポートしてくれた方にお願いしたいということでピアノ教師から連絡を受けて会うことになりました。ところが、その予定が先方の都合で流れて半年ほど経った頃に、また、連絡があって、やはりギターを教えて欲しいと頼まれました。半年の間にギターの興味がアコギからエレキに変わったというので長年の音楽仲間であるギター講師を紹介したら、その子も気に入ってくれたので、隔週で親が僕のスタジオまで子供を送ってきて講師の出張レッスンが始まりました。
レッスンの間に親から、その子が心臓の難病を抱えていて、県立こども病院で二度手術を受けていることを聞きました。優秀なギター講師の手腕もあって高校生のパワーライブでは超速弾きの曲を発表するまでになりました。大学に進むと自分が組んだバンドで僕のスタジオを使うようになり、卒業後は家業の土建屋は継がずに都内の大手企業に就職して、今、27歳で元気に生きています。 レッスンの間にお喋りして両親とも気安くなり土建業を経営していることを知ったので、我が家の舗装工事をお願いしたり、毎年実家で作っているブドウをお裾分けしていただくという交流が続いていました。 今年1月に連絡があって、県立こども病院でライブをしたいと相談されました。聞けば、心臓病の子供を支える友の会に入っており、そこで知り合った佐久在住の女子中学生が現在ドラムを習っており自分の息子が音楽のおかげで今があるから、その子にも同じことをしてあげたいということです。息子がギターで、その彼女がベースでサポートするからライブをさせたいということでした。ついては音響もお願いしたいというわけです。これは断れないですよね(^^) それからドラムのレッスンをしたり僕がギターを弾いて音を合わせる練習をして、ようやく、昨日、本番を迎えました。 昨日は早めに機材のセッティングが終わりトラブルもありましたが午前10時にはリハーサルを始められました。初めて音合わせをするのですが、前述の男の子のギターと、その彼女がベースで支えてくれたので何とか形になりました。ドラムの女の子は自宅で使っている電子ドラムを持ち込んでくれたので非力な音響セットでもバランスがとれました。 ボーカルの男の子と女の子、ドラムの女の子がこの病院の患者です。その主治医も見に来てくれました。ギターの子を二度手術した医師も退職していますが見に来ており日本の心臓外科のレジェンド的な存在だとギターの子の父が教えてくれました。「息子の命の恩人です」と。 ししゃもの「明日も」は酸素チューブを鼻に入れた子がボーカル、ドラムの子は叩きながら歌いました。先のブログに書いた通り、この歌詞は彼女たちの気持ちを歌っているようで感動的でした。二人とも初めて人前で演奏したのですが緊張を乗り越えて溌溂と演奏してくれました。お客様も温かい拍手や声援を送ってくれて、彼女たちも楽しかったと笑いました。お手伝いできて何よりでした。 ギターの子はカラオケを使って難曲のカノンロックを披露。他にも現在大学生になったという男の子が母親のピアノ伴奏でチェロを弾きました。こうして難病を抱えつつ元気でいる姿をみせられるのは同じ境遇の子供や親に勇気や希望を与えたでしょう。 会場には薬石効なく旅立った子が書いた絵が飾られていました。チェロを弾いた子とは同じ病気で、この病院で知り合い仲良しになったそうです。今日、ここに来ている患者の子供たちや、その親にとって死は現実的な問題なんですよね。 ![]() いつもブログでは画質を落としてアップするのですが、今回は僕のガラケーで可能な限りの高画質でアップします。 ボランティアで引き受けると言ったのですが友の会から謝礼をいただきました。先日、ドラムの子から貰った500円硬貨と共に保管します。このようなお金を自分のために使う気にはなれません。いずれ、何か世の中の役に立つことに使いたいと思います。 今回、このような形でお役に立てたのも、僕がギターもドラムもできるしスタジオもあるし音響もできるからでした。どれも自分が好きでやってきたことですが、それが役に立ったというのは今まで味わったことのない喜びでした。僕は「人は他人のためなら頑張れる」という言葉を信じています。これからも他人の役に立つことをしていきたいと思い、このブログを備忘録としてアップしておきます。この気持ちを忘れないように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.03.30 13:35:56
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