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メオタイ イン プーケット

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2009.11.19
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カテゴリ:プーケット生活
 

4年ぶりにテニスを始めた。

IMG_1976.JPG私たちの通っているスクール。チャオファー通りのTOTのすぐそば。セントラル方面からスコースパを過ぎしばらく行って左手にボクシングジムの看板があるソイを左に入ってすぐ。興味のある方はぜひ見学を!!

 

4年前にボレーの練習中ボールを思いっきりふんずけ、足首の骨を骨折して以来、あの時の恐怖と手術後の不便さが思いっきりトラウマとなりテニスからはずっと遠ざかっていた。

なんせ、その瞬間のあの骨が折れた音は、「あ!!骨が折れた!!」と今まで骨を折ったことのない私にも、完全にそれとわかる音だった。

 

骨折後は、それに伴って流産、インフルエンザとそれでなくても不自由なその体にいろいろなことがのしかかってそれはそれは大変な日々だった。

骨折自体は手術のお陰か3ヶ月後には完全に歩ける状態となったので、結構回復は早かったほうだと思う。

ま、そんなわけでテニス観戦はあいかわらずオタク並みに好きだったけれど、自分でプレイするのはちょっとやそっとではその気にならないほどの恐怖感を伴うようになった。

どんなにテニスおたくの友人に、「また一緒にやりましょうよ」と誘われても「うう~ん」とかたくなに断ってきた。

 

しかし。

息子がこの半年前からなかなか真剣にテニスを始めだしてからというもの、どうもうずうずしてならない。しかも、テニススクールはタウンにあるため息子の練習の間はずっと彼の下手くそなプレイを見ながら待っていなくてはならないのだ。

これがまた結構つらい。あまりに下手くそなため、イライラして口を出したくなるのである。

その姿ははたから見たら、完全なステージママ状態。口うるさい母親の姿そのものだったであろう。。。そんなある日、息子のスクールの場所が移転した。

今までは集合住宅にある2面のテニスコートを、夕方からコーチたちが借り切ってスクールを運営していたのだが、ヘッドコーチが自分で更地から3面テニスコートを作り本格的なテニスアカデミーを開校することになったのだ。

もともとこのヘッドコーチ、元タイのテニス女子プロ選手で、現役時代は海外遠征にもばりばり出場し、シニアとなった今現在もシニアのアジア大会で日本や中国に遠征に行くほどのなかなかの名選手。今現在50を超えているが、毎日子供たちの指導や大人の男性のヒッティングパートナーもこなしている。

また、このスクールには10歳にして12歳以下のタイ南部のチャンピオンが在籍していて、バンコクで行われる全国大会の常連選手もいる。

この子がまた本当にうまくて、これが果たして本当にうちの息子と同い年かと思うほどの腕前。そりゃあもうかっこいいのなんの。この子はかなりうまいので、新聞にもよく掲載されるほど。

とまあそんなわけで、真新しいテニスコート3面の魅力か、ぐっと生徒数も増え、ますますスクールは本格的になってきた。そうなってくると、ますますうずうずしてくる。

もともと私はエースをねらえ世代。ばりばりの元体育会系。

今でも、宗方コーチが生前に岡ひろみに書いた手紙を岡が読むところ「岡、エースをねらえ」というシーンを思い出すだけで、未だに目頭が熱くなるぐらいだ。

そういえば、私と同世代の松岡修造がやはりエースをねらえの中の宗方コーチが岡にはなった名言「この一球は絶対無二の一球なり」という言葉をウインブルドン、ベスト16の試合中に叫んでベスト8入りを決めたのはあまりに有名な話。

また、彼は試合中にピンチに陥った時に、「岡!!」としばしば叫んだという。なんで、頑張れ自分!!とか修造!!とかでなく岡なのかは笑えるけど、どのくらい彼があのマンガに心酔していたのかは、私にはよくわかる。

 

そんな松岡は、高校時代テニスをやっていた私たちにとってはスターのような存在だった。

そのころテニス雑誌は何冊かあったけれど、坊主頭に刈り上げて真っ黒に日焼けしてラケットを振るその姿は常に表紙を飾る常連だった。

とにかく柳川の松岡修造は強かった。

だから今の松岡の姿しか知らない人たちにとっては彼はただの暑苦しくてちょっと変なオヤジにしか見えないかもしれないが、私にとっては大切な青春の思い出の一つなのである。

 

テニスをもう一度始めたい。

だけれど、普通に大人でコーチの誰かをヒッティングパートナーにして練習するのではなく、青春時代のあの頃のように何人かのグループで練習したい。しかし、このスクールには大人のグループレッスンはない。

願わくば、このスクールの上級の子供たちの中に交じって一緒にやりたい、そしてできればあの10歳のチャンピオンのグループに交じりたい。子供たちと一緒に汗を流し、共にボール拾いもしたい。

でもそんなことが許されるものなのか。。。第一、他にそんな人は一人もいない。

しかし日に日にその衝動は抑えがたくなってきたため、思い切ってある日ヘッドコーチに相談してみた。答えはあっさりと「お母さんがそうしたいなら全然大丈夫よ」というものだった。

さすがタイ。普段ああだこうだと文句は言っていても、こういうゆるさがたまらない時もある。

 

というわけで、先月から子供たちに交じって一緒に練習を始めた。

お陰さまで息子がちょっぴりうまくなり、昇級して時としてチャンピオンのグループにも交ぜてもらえることになったので、私もそれに便乗して子供の一番うまい子たちのグループと一緒に練習させてもらえることになった。

 

しかし、初日は本当にひどかった。

長い間運動もさぼっていたため、足はもつれるわ、5分打って球拾いしたら目の前が暗くなった。息もすぐにあがるし、なにより打っても打ってもネットばかりであまりの下手くそさに自分でも驚いた。

昨日で7回目の練習。ずいぶん勘を取り戻して子供たちを打ち負かすこともできるようになってきた。何より息子を打ち負かすのは大変楽しい。息子も息子で「ママ、今日けっこううまくなかった??」と聞くと「ママはいつもうまいよ」とほめてくれる。本当は全然そんなことないのに。笑

そしてここはやはりゆるーい国。

子供たちも自分たちの中に41歳のおばはんが混じっていても、全然変な目で見ない。いろんな話をしてくれたり、さわやかに挨拶をしてくれたり、母は本当に楽しくてしょうがない。

体重が重いせいでひざが痛かったり、日ごろの運動不足がたたって体力が異常になかったりと困ったことはたくさんあるが、この楽しさのためだったら基礎体力をつけるトレーニングやダイエットにもチャレンジできそうだ。

年末にはバンコクや日本からテニス好きな友人が遊びに来るので、是非それまでにもう少し体力をつけて恥ずかしくない程度にうまくなりたい。

いや、願わくば恥ずかしくない程度ぐらいでなくもっともっとうまくなりたい。

41歳の新たな野望のスタートとなりそうだ。

(プーケットで一緒にテニスをしてくれるお友達大募集中です!!)

 

 

 






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Last updated  2009.11.19 23:48:51
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