★IBCの出会いとラッピー私も夜、なかなか眠れなくなり、眠ろうとしても、あの「目が開いたままの アトム君の死に顔」がちらつき、辛くなるのです。当時8歳半のジョン君も 寂しそうで元気がありません。ほんとうに毎日泣き暮らして、食欲もなく、 お陰で、体調不良に体重減少と身も心もボロボロでした…(T_T) これが、初めて体験する「ペットロス」だということを身にしみて思い、 欧米で可愛がっていたペットが亡くなると「生きるのが辛い」と言って “自ら命を断つ人も少なくない”と本に書いてありました。 正直、まだ生後67日と幼く、天国で寂しがらないか?不安でいっぱいで 私も生きていくのが辛くて、アトム君の後を追って天国で一緒に暮らし、 育ててあげなければ…と思いました…。 クラブ・ジャパン)】という会社を知り、資料を取り寄せてみると「FAX ペット飼育相談」がある事を知りました。早速、「アトム君を亡くして辛い です。」とFAX相談依頼しましたら、折り返し、病気・飼育担当A氏から 「ヨーキーが天国に行ってしまった事、本当に残念に思いました。」から 始まり、「不幸だった仔は次は幸せになる。」と書かれてありました。 こうして、私とA氏とのFAXでのやりとりが始まり、家族も目を通し、 そうすることで、心の落ち着きを取り戻している私と家族がいたのです。 A氏は、私と同年代の女性で、スムースチワワのゴンタ君&メグちゃんを 飼っていて、犬に関して豊富な知識を持った人間的に素晴らしい方です。 お陰で、「犬の世界」について、沢山のことを教えて頂きました。 アトム君の三十五日忌(1992.1.1)にはジョンを含む家族全員で、三仙院 まで法要に行き、帰りの車内でみんなで食べたお弁当の美味しかった事。 次に、母と2人で四十九日忌(1992.1.15)を済ませて、そして、縁あって 1992.2.18にヨーキー♂の仔犬がIBC流通担当S氏より、新幹線に乗って JR名古屋駅受取りの運びとなりました。それが【ラッピー君】です!! 最初、ラッピーのブリーダーさんが「アトム君を亡くされて気の毒なので、 値段は12万円でいいです。」と言ってくれたので…ショーに出す子犬を 12万でお譲り頂くというのは普通考えられない事なのですが「12万でいい です」と念を押して言って下さったのですから感謝の気持ちでいっぱいに なりました。当時の愛車キャロルで迎えに行き、高速道路をとばして夕方 18時に帰宅しました。餌(ユーカヌバ)を食べ、夜鳴きもせず、手のかから ない男の子で、丸々どっしりカッキリ顔キリリのラッピー君は、この時、 生後80日になっておりました。じき、血統書も届いて、♂1匹♀4匹の 5人兄弟と判明しました。この二代目アトムことラッピー君は、先住の ジョン君とも仲良くなることが出来て、心の中では“アトムのこと”を 忘れないながらも、それはそれは楽しい毎日でした…。 ところが、不幸は また続いていたのです…。 この年の3月9日に津市に住む母方の祖母が天に召されました。津市と 四日市を、お通夜や葬儀などで何往復したでしょうか?まだ幼く、生後 3ヶ月ちょっとのラッピー君と8歳9ヶ月のジョン君を、断腸の思いで 留守番させたりして心が痛く、犬達には寂しい思いをさせたりして辛い 日々だったと思います。3.10には母とアトム君の百カ日忌に参拝しました。 その前日には「アトム君の血統書が届きました。」と鈴鹿市のペット ショップさんよりFAX連絡があって取りに行きました。それによると、 アトム君は♂♀2匹ずつの4人兄弟と判明しました。血統書は得られても アトム君はこの世にいないのだと思うと、辛く切なくなるのでした。 こうして、不幸が重なりましたが、仔犬のラッピーの世話に明け暮れる ことで、時々、アトム君のことを思い出しながらも、かなり癒されていき ました。ラッピーをアトムだと思って可愛がること10年以上の月日が流れ、 早いもので、今年2003.11.28は、アトム君の【十三回忌】です。 もちろん、追悼供養してまいります。 03'秋 記 |