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泉福寺跡 石風呂


国東半島 隠れスポット

泉福寺国東塔 ・ 泉福寺石風呂 山香町 

  金亀山(きんきざん) 泉福寺(せんぷくじ)は、養老年間の開基とされる。
  その後、観応3年(1352年)に再建されたが、明治初めに廃寺となった。
  ※杵築市教育委員会 立て看板より

  養老年間での開基は、国東半島 六郷満山 一連の寺院開基と同じである。
  その後の再建~廃寺に至るいきさつは、調べた範囲では よくわからない。
  推定にすぎないが、明治維新の廃仏毀釈による焼失やその影響などが考えられる。

  今は、田園の中に 盛り土のような かさ上げされた土台と 少しの面影を残すだけとなっている。
  されど、貴重で興味深い文化財が現存している。
  以外と 全国的には知る人ぞ 知る場所である事で あえて隠れスポットとした。
泉福寺跡の森



  【泉福寺跡地に立つ国東塔】
泉福寺跡 国東塔
  私が見た中では、立派な国東塔が立っている。
  国東半島一帯で見られる この国東塔は、供養や墓標として建てられていたようであるが、
  ここの国東塔は、いつ頃建てられたものなのか。

  説明看板によると、観応3年(1352年)という記述があるが、それが建立時期を意味するのか?
  建立当時の完全な姿で保存されているとも、記載がある。
  この国東塔は、県指定有形文化財となっている。



  【泉福寺跡地横に作られた石風呂】
泉福寺跡 石風呂
  年代は不明ながらも、かなり古くからある 石風呂のようである。
  現代で言えば、サウナのようなものである。
  ただ、利用目的として、現在の健康維持としての利用に対し、昔は病気治療の一環で使用されたようだ。
  
  説明看板によると、
  浴室入口と両側と上部は板碑
  浴室内の4つの壁は岩盤を削ったり、板碑や各種の石材を積み重ね
  天井・床は板碑や石材が用いられている。
  
  この石風呂は、2階式となっており、このような方式は全国でも 少ない。
石風呂 2階上面部 石風呂 2階奥面

  『使用方法』
  1階部分で火を焚き、上側の床石を暖め、2階部分の床に石菖(せきしょう)やヨモギ等を敷き詰め
  熱くなると 水をかけて中をサウナ状態にした上で 中に入り身体を温めて治療したとある。
  また、江戸時代中期の記録に「病人多く集まり焚く」との説明看板記載もある。

  薬草である石菖やヨモギが使われている記述がある事から、
  素人からみても 治療に使用されたというのも納得できる。

  良く小さい頃、傷を負った時には 今は無き『赤チン』消毒薬の代わりに、ヨモギを潰して
  傷口に当て止血した事を思いだした。 ちょっと、独特のにおいがするが・・・・。
  ヨモギは、ヨモギ餅で食べるだけでなく、止血作用もあるのだ。

  この石風呂は、国指定重要有形民俗文化財となっている。


  のどかな田園風景の中にたたずみながらも 後世に伝え、残すべき遺産である。

  『場所』
   杵築市山香町 山浦
  「ルート1」 山香町側より
  10号線 山香町 「温泉 風の郷」看板のある交差点の信号を、
  風の郷とは反対側の日豊本線 線路側方向へ曲がる。
  線路を渡り、Y字路を右へ → 次に、かなり車で走るが、T字路にぶつかって右へ。
  あとは、少し進んだ左側にある看板に注意していけば たどりつく。
 
  「ルート2」 日豊本線 立石(たていし)駅側より
  その他は、日豊本線 立石駅前の道を宇佐方向に進み 一度 日豊本線の線路を渡る。
  その後、Y字路にぶつかる。 そのY字路を左へ (右方向は、10号線に合流する)
  その後、再度 日豊本線の線路を渡り そのまま道なりに進む。(県道716号線) 
  右側からの大きな合流する道を過ぎれば、同様に左側の看板に注意しながら進むだけ。


  ≪資料≫ ; 杵築市教育委員会記載 説明看板を 参考にさせて頂いております。



泉福寺跡 石風呂・国東塔


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