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きちょくれ よっちょくれ 国東半島

西叡山 高山寺


国東半島 史跡めぐり


≪西叡山 高山寺≫


謎の多い、幻の「高山寺」
西叡山 高山寺


高山寺 鐘つき堂

 豊後高田市大字小田原(こだわら)より 山手側に4kmほど 西叡山登って行くと 高山寺がある。
 高山寺と言って すぐ思い浮かぶのは、京都にある獣人物戯画でも有名な 高山寺(こうざんじ)であろう。
 
 ここ、国東の里にも、漢字では同じ 高山寺がある。
 ただし、呼び名は『たかやまでら』と呼ぶ。 ※里の人達は、西叡山の事を高山(たかやま)と呼んでいた事に由来する。
 過去には、京都の比叡山、 東の東叡山(天台宗 関東総本山)、西の西叡山と 三大叡山と言われていた。


≪謎の多い高山寺≫
 この高山寺は、平安時代に突如現れ、鎌倉時代には殆どが衰退し、江戸時代には完全に姿を消した高山寺。
 江戸初期あたりに、焼失してしまったのは確かのようであるが、実際の焼失原因は いまだ闇のベールに包まれている。
 日本史にも見る事はなく、残されたのは数多くの伝説のみであり 多くの謎を残している。

 高山寺が初めて、文書に出てくるのは、仁安3年(西暦1169年) 六郷山 「二十八山本寺目録」である。
  ( 六郷満山の基礎 仁聞開基 養老2年(西暦718年)から、450年も後の事である )
  以前の名前は、『高山養老寺』と呼ばれていたようである。



六郷満山の寺院統括していた「西叡山 高山寺」  下記写真は、現在の新高山寺の駐車場と門 

まだ、山頂付近には 桜が咲いており 山の色彩に色を添えている。
高山寺 駐車場


 門構えは、どっしりとした重圧感があり、訪問者も 身の引き締まる感じがする。
高山寺 門

 高山寺は、本山本寺(学問の場)のひとつとして、六郷満山の寺院を統括していた西叡山 高山寺。
 七堂伽藍四十五坊で 栄華を極めた? とされる高山寺。 その真相は今現在も 定かではない。

 六郷満山文化
 国東半島の両子山を中心とした 放射状に広がった谷筋に沿った六つの郷に、僧侶修行の場として
 奈良時代末期~平安時代にかけて 宇佐八幡の境外寺院として末寺も含めて、65ケ寺ほど建立され
 宇佐八幡神信仰と修行道が結びつき、複雑な宗教体系のもと、発達したのが六郷満山であるとされる。

 国東半島の寺院群は、 下記の 3タイプに分かれており、これを総称して満山と呼ぶ。 
  学問をする為の 「 本山 (もとやま) 」 
  修行をする為の 「 中山 (なかやま)」
  布教をする為の 「 末山 (すえやま)」

 平安時代末期~鎌倉初期頃が、全盛期であったと思われ その後は、徐々に衰退の一途を辿る事となる。



悲恋な物語が残る「西叡山 高山寺」
 
 この西叡山 高山寺には、尼さんの付け火 にて全焼してしまったとの言い伝えがある。
 焼失は、江戸時代初期と言われている。
 
 西叡山高山寺の七堂伽藍は立派で、一枚の扉を開けると、他の扉も一同に開く 不思議な扉を持つお寺であるとの
 話を 京都 比叡山が聞きつけ、比叡山がさびれてきたのは、豊後の国 六郷満山の「不思議な扉」のせいであろう。
 この秘密を解き明かさなければ、日本一の比叡山は、負けてしまうとの事から、京より女性の坊さん(尼さん)を使わした。
 
 尼さんは、修行僧に混じり、高山寺を建立した大工等への情報集めに奔走したが、そこである大工と恋に落ち、
 比叡山からの「秘密の扉」について、やいの催促に対し、この土地から離れたくない 大工への恋心から
 高山寺を燃やしてしまえば、秘密の扉は燃えてわからなくなったと 言い訳が出来るし、
 高山寺が消滅してしまえば 比叡山の栄華も また復活し日本一となる、尼さんの役目も無くなる。
 との思いで 高山寺に火を付けた。
 
 火の勢いは早く、あちこちへも飛び火し、尼さんも逃げる際に 着物に火がつき燃え出してしまった。
 火を消そうと 中恩寺前のイゼ(井せき)に飛び込んだが、イゼが深く 尼さんは溺れ死んだとの伝説がある。
 村人は、今でも 『ピクニがイゼ』と呼んでいる。

 ピクニ ・・・・・・・ 尼さんの事をさす
 イゼ  ・・・・・・・ 水を、他の場所へ引く為に せき止められた仕切りの事
 


周防灘を望む 「西叡山 新高山寺」
11 高山寺景色3


 西叡山の地に 再興 新高山寺が建立されたのは、1984年(昭和59年) である。
 西叡山八合目 標高480Mに建てられている。    
 元来の位置に建立されたわけではないが、平安時代の灯と長年引き継がれてきた信仰心を呼び起こし
 後世に引き継げれば 場所はどこでもよかったのである。

 建屋は、現代風にアレンジされた寄せ棟造りの屋根で、富貴寺の宝形造りを模している。
 全体的には総素木造りで 平面構成となっている。

 境内は広い上、境内からの眺望が素晴らしく、寺を背にして 両子山の山並みを前方に観ながら、左手には周防灘が広がる。
 1000年以上の歴史を残す 国東連峰の山々が一望できる素晴らしい場所であった。



国東連峰の山々

 『高山寺駐車場からの眺望』
  駐車場からは、周防灘~両子山を含め、国東半島の山々など 見る事ができる。
  春は、黄砂の関係もあり 天気の良い日でも モヤがかかった状態になってしまう。
 
 ≪冬≫
13 高山寺 駐車場よりの景色1


≪春≫
高山寺駐車場からの天展望


 下山途中、見晴らしの良い場所があり そこからの眺めは、最高でした。
 登りには、気付かないと思うので、下山する時には 注意してみていると すぐわかります。

≪下山途中からの眺め≫
高山寺 中腹の景色


 高山寺の庭で見つけた春
高山寺 庭に咲く花



西叡山 高山寺への 登り口
 登り口が わかりにくいと思うのですが、看板が 豊後高田~田染(たしぶ)線の道路沿いに設置されている。
 看板は、豊後高田市から 田染(たしぶ) に向けて走っていくと 右手側にある。

西叡山 高山寺入り口


高山寺、西叡山、


 ※ 高山寺の歴史については、『西満山桂川渓流往来』 河野氏著書の内容を 参考資料とさせて頂いております。 


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