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カテゴリ:日記。。。
こんばんは! metropole muffinこと、メトロのマフィンです。 今日は綺麗な足のママ、お話していたら電気館のユミコ姐(無論若いです)さんとお友達ですって。 よくいかれるお好みのショップでご一緒だそうです。 お話してましたら、何故にその足の長く、細いの・・・と。 幼い頃、小学校まで一時間歩いて通っていたんですって。 そこで筋肉も締まったかな、って。元々家系もあるかもって、お母さまの綺麗なおみ足だそうです。 羨ましいな~と言いながらも、小学校で往復2時間ですよ、偉い少女時代をこの方は通り過ぎて今はママさん。 これはお子さんも鍛えられるかもね、と。 湯の鶴ってご存知ですか?と云われ、湯の児より泉質がいいとこでしょと即答。 そう、水俣の温泉では観光的には湯の児が有名ですが、泉質は湯の鶴の方が格段に良いとは・・・私見(うはッ、ゴメンナサイ)。 水俣、通いましたもの。。。その昔。 前の水俣市立水俣病資料館の館長吉本さん。その吉本さんのお宅には当時(市の農政課だったか、その後に環境課へ)いろんな人たちが集まって酒盛りをした。 熊本県下から、九州全県から、他県、東京から・・・といろんな人が祭りや会議、何かあれば集まった。 吉本さんのお宅では、なんだか皆が無礼講という感じで、思い思いにやることをこなす。 酒盛りの途中にお腹が空いてはと、惣菜を作り出す人。 ごろり爆睡中の人。 ほろ酔い加減で議論を混ぜくる人。 飲まないでニタニタ参加している者(私です) その時、その時で話題も広がる。 九州の山岳地帯のこと、亜細亜から続く針葉樹林のこと、キャメルのラリーのこと、ドイツのスパのこと、食べ物の旬のこと、水俣の現状。。。 吉本さんたちはアジアは無論、ヨーロッパではドイツのスパを集合場所に各人がレンタカーで迷いながら辿り着いたり、面白い探検をしていた。 吉本さんは東京23区を全部歩いて回っていた。。。東京にも暮らしがある、と。山や川、生活があったはずだと。 吉本さんの師匠の教え通り、実践した。 そうだった。 旬になれば、誘いがきた。 たけのこの季節には、たけのこの刺身、美味いぞ~と。 美味い玉ねぎ採れたぞ~と。 調理人を買って出たのは、たしか当時は窒素の社員食堂の料理人だったか・・・いや、違ったかうろ覚え。 美味しい食材がふんだんに揃った水俣。 しかし、水俣病という名の下に、農作物、お茶でさえ売れなかった。 水俣という出荷名で他県どころか、県下でも買うところが減少した。 だから、旬の味を食らうぞ~と誘いがかかる。 参加した者達はその美味さを地元に持ち帰り、宣伝するって寸法です。 そういう細かな、細やかな、地味な積み重ねを欠かさなかったのが吉本さん。 水俣の無農薬のお茶(お茶は洗えないですよね)然り、サラダ玉ねぎ然り。。。いろんな食材が今は市場に並ぶ。 その吉本さんのお宅の吉本さんの部屋大解放という感じで、皆、飲んで食べて話してその場で寝て、各々が帰っていく・・・・で、また集まる。 そんな時期が続いていた。 で、お風呂は。。。。そう、吉本さんちの上の方の山を越えた辺りに確か温泉があった。 湯の鶴と同じような泉質だった気がする。 そこへ入りにいく、ってことだったか。 水俣は勉強した人たちがたくさんいた。 町を再生というような生易しい現状ではなかった。 そこを離れず、粘りを見せて、いつも勉強していた吉本さんたちがいた。 吉本さんは検索すればいろいろ出てくる。 ********************************* 島村菜津氏より抜粋 (http://www.meijigakuin.ac.jp/~iism/open_lecture/open_lecture07/2-Shimamura.htm) ~九十年代、環境都市化を目指す役場の環境課にいた吉本哲郎氏(追記:前の水俣市博物館館長)はこんなことを言った。 「水俣は、チッソが毒を垂れ流し、海の水が汚染され、そこで獲れた魚を食べて人が病気になった。だから、水とゴミと食べ物、その三つが何とかなれば、水俣は生まれ変われる。」 同市の取り組みは、たとえば、ゴミの二一分別、トレー廃止運動とユニークだ。 環境マイスター制度では、選ばれた無農薬の茶農家や米農家、無添加のいりこ生産者などは、以後、市民の意識を変えるために手助けさせられることになる。 その吉本さんは、こんなことも言った。「経済には三つある。現代のマスコミは、貨幣経済ばかりを取り上げるが、他にも二つの経済がある。それは、竹の子が取れすぎたら近所にお裾分けすると、夕方のおかずになって戻ってくる、あるいは、結いやもやいのような共同の経済。そしてもう一つは、自給自足の経済である。」 なるほど水俣の山間部では、昔から自給自足の世界で、長老が、小さな庭先の畑で多種多様な野菜を作り、薬草を育て、雑木林からは筍や山菜を採ってくる。 ********************************** 朴訥な話し振りにいつもふむふむと聞き込んで、「それで水俣の美貴の最中が食べたいな~」と返事していた私。。。バカですね、当時から。 いっぱい写真も撮らせてもらった吉本さん。 振り返れば、人の褌で相撲を取る、そういう人がいっぱいいた。 そういう人ばかりが仕事をする時に目立った。いまもかな・・・ そんな時に、いつも吉本さんを思った。思い返した 自分のやっていることを思い違えないよう、ぐっと我慢の為所と、安易な方に流れぬようにと吉本さんの顔を思い浮かべて、言い聞かせた。 そんな人がいるの。ここに。 日本にはこんなお宝な人がいるのですよ。 上画像クリックで記事へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/07/29 09:09:10 PM
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