テーマ:懐かしのフォークソング(675)
カテゴリ:フォーク
ミュージック・シーンの原点を示すカレッジ・フォークの名曲たち どんなものにも(学問にも、スポーツにも、政治にも、経済にも)変遷があリルーツというものがある。では、現在我々の周りを取り囲み、活況を呈している日本のミュージック・シーンの音楽は・・・・・・というと、これも例外ではない。元の元を辿った原点。それがここに収められている音楽だ。フォークソングが日本の音楽界の新しい波になるとは誰一人想像さえできなかった時代・・・・・・1960年代前半のことである。それまで日本にあった音楽といえば、純邦楽、歌謡曲、クラシック、ジャズ、アメリカン・ボップス、カントリー&ウェスタン、それに入ってきたばかりのロックン・ロールくらいなものだった。ところが、アメリカで起こったコンテンポラリー・フォークが日本に流れ込んできたとき、アコースティック・ギターの新鮮さ、美しく爽やかなハーモニーに、たくさんの学生が衝撃を受け、我先にとグループを結成してコピーを始めた。これがいわゆるジャパニーズ・ポップスの始まりなのである。こうしてまず学生の間で起こったフォークは、それゆえにカレッジ・フォーク時代とも呼ばれる。その口火を切った和製フォーク・ソングの第一号が1966年4月に発売されたマイク真木の「バラが咲いた」だが、実はこれは偶然から生まれたヒットだった。というのは、もともとこの曲は故・浜口庫之助が、アメリカの有名ボップ・シンガーに書いたものだったのだ。ところが、デモ・テープ用に当時学生でフォーク活動をしていたマイク真木がアルバイトで歌ったところ、これはいい、とそのままレコードになってしまったのだ。それがあれよあれよと大ヒットになり、フォーク・ソングは初めてお茶の間に到達した。これによって、フォーク・ソングという言葉自体も一般的に広まり、一気に注目を浴びることになる。続く8月、若者の思春期の期待と不安を見事に歌ったザ・プロードサイド・フォーの「若者たち」。67年1月、美しいクリスタル・ボイスを持つ”フォークの女王”森山良子の「この広い野原いっぱい」の出現と・・・・・・、生まれたばかりのフォークは、大きなうねりとなって暴れ回り、若者の心を魅了した。そしてこの流れは、吉田拓郎、泉谷しげるらのフォーク全盛時代に引き継がれ、現在に至っているというわけだ。ここに集められた歌たちは、当時の人たちが聴けば懐かしさに自然と口ずさみ、また現代の若者たちが聴いても新鮮さをり感じることだろう。その意味では、これらの歌たちは時代を超えて輝きを放ち続ける金銀の数珠である。(宮澤一誠) バラが咲いた(マイク真木) いつまでもいつまでも(ザ・サベージ) 若者たち(ザ・ブロードサイド・フォー) この広い野原いっぱい(森山良子) 小さなスナック(パープル・シャドウズ) あなたのすべてを(佐々木勉) ダスティン・ホフマンになれなかったよ(大塚博堂) どうにかなるさ(かまやつひろし) なんとなくなんとなく(井上順) また逢う日まで(尾崎紀世彦) ウィスキーの小瓶(みなみらんぼう) 空に星があるように(荒木一郎) マリエ(ブレッド&バター) たそがれマイ・ラブ(大橋純子) ダンスはうまく踊れない(石川セリ) メリー・ジェーン(つのだ・ひろ) PHILIPS(ポリグラム) FNCL-40017 購入年月日:1998年10月14日(CDクラブ) J-POPランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.04.24 15:25:05
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