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2020.05.18
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テーマ:ラテン音楽(411)
カテゴリ:ラテン


ミュージックプラザ<ラテンでクリスマス>
 キューバ、ジャマイカ、ベネズエラなど陽気なラテンのリズムでクリスマスを。
 フェリス・ナビダー(トロピカル・オールスターズ唄:ティト・アレン&クリッシー)、ポリスターPSCW-1155
 ジングルベル(ヨーモ・トーロ&ザ・ボリクア・オールスターズ)、東芝EMI(Metro Blue)TOCP-50047
 レチョンとバチャータ(ミゲリート・クニー&チャポティーンと彼のコンフント)、Carey(西)CCD-901
 クリスマスのチャチャチャ(オルガ・リベーロ&クアルテート・ファクサスwithオルケスタ・フリオ・グティエーレス)、Carey(西)CCD-901
 アンティル諸島のアギナルド(セリア・クルス&ソノーラ・マタンセーラ)、Carey(西)CCD-901
 ジャマイカのクリスマス(ブレント・ダウ)、Heat Beat(米)HB-118
 クリスマスがやってくる(アルトン・エリス)、Heat Beat(米)HB-118
 きよしこの夜(カーリン・デイヴィス)、VP(ジャマイカ)VPCD-1050
 サンタが町にやって来る(パンベリ・スティール・オーケストラ)、STARLAND SICN-23015
 すばらしい夜(オスカル・デ・レオーン&コスタ・カリベ)、ボンバ(DISCO HITS)BOM-1002
 サンタの贈りもの(オス・カリオカス)、トライエム(メルッダック)MSCP-28001
 クリスマスの祈り(ルイス・ボルドン)、TOP HIT'S(ベネズエラ)IA、501、00531A
 クリスマスと新年(ロス・エルマノス・チリーノス)、TOP HIT'S(ベネズエラ)IA、501、00531A
 クリスマスにはうちにおいでよ(エンリケ・チア(p)&オーケストラ)、Bequi(米)BRCD-2131-2
 解説:竹村淳
 放送年月日:2002年12月24日(火) NHK-FM

ミュージックプラザ<2002トピックス&リクエスト>
 安らかに眠りたまえ~セサル・サニョーリの死によせて
 キューバのエレーナ・ブルケ、アルゼンチンのアルベルト・カスティージョ、そして日本ではトリオ・ロス・チカノスで活躍した飯田卓三の各氏ぐらいで、今年他界したアーティストはジャズなどに較べると比較的少なかった。そんな話をミュージック・プラザ~ポップス火曜日の2002年最終放送(12月24日)で話したところ、そのクリスマス・イブに草分け的な女性タンゴ歌手ティタ・メレージョが亡くなったという知らせを受けた。1904年10月11日生まれだったから享年98。それに追い打ちをかけるように西村秀人さんから「セサル・サニョーリが26日夜、訪問先のブエノス・アイレスの息子宅で亡くなったそうです」というメールが来てショックを受けた。テイクオフが西村さんのコーディネートでサニョーリのCDを発売したのが1995年の末で、以後彼がウルグアイへ行く度に些少ながら原盤使用料をお預けして手渡してもらっていた。じつは今年9月にも西村さんはそのために首都モンテビデオでサニョーリ氏と会ったばかりで、とても元気そうだったと聞いていた。それだけに彼の訃報には本当に驚いたのだ。1911年4月24日生まれだったから、91歳と8ヶ月の生涯だったことになる。ウルグアイのアーティストというだけで日本ではハンデを背負ってしまいがちだが、同国出身のすぐれた演唱家は多い。なんといっても“タンゴの王様”フランシス・カナロとその兄弟、「淡き光に」の作者で楽団リーダーとしても活躍したエドガルド・ドナートやその兄弟、ガルデルとデュオを組んで唄っていたホセ・ラサーノ、若くして死んだフリオ・ソーサ、数度の来日で日本でもファンの多かったドナート・ラチアッティもしかりで、挙げだすときりがない。そしてアルゼンチン人があまり口にしたがらないことだが、絶対に忘れられないのはタンゴの名曲のなかでもとびきり有名な「ラ・クンパルシータ」を作ったエルナン・マトス・ロドリゲスだって正真正銘のウルグアイ人だということだ。そんななかではサニョーリの存在はいかにも地味だが、演奏の密度の濃さと絶妙なレパートリーゆえに高い評価を受けてきた。いわば玄人好みのアーティストの典型だった。13歳のときに故郷ドゥラスノ地区のカフェでプロのピアニストとしてデビューし、無声映画の伴奏なんかもやったという。1935年頃というから、サニョーリは24~5歳だったことになるが、フアン・ダリエンソにスカウトされてブエノス・アイレスに出て彼の楽団で38年頃まで演奏した。その後いったんウルグアイに戻ったが、41年にまた舞い戻り、54年まで様ざまな楽団で働いた。なかでも44年~50年は歌手アルベルト・カスティージョの伴奏楽団でアレンジとピアノを担当したことは知る人ぞ知るところで、奇しくもそのカスティージョも今年7月23日に88歳で他界したばかりである。さらに50年~52年にかけてはダリエンソ楽団から独立したばかりのエクトル・バレーラの楽団に参加して活躍した。54年に母国に帰ってからはピアノ~バンドネオン~ベースというトリオを結成して活躍した。しかも彼は80代半ばになってもニューヨークやマイアミまで出かけていくほど元気で、日本に呼べまいかと考えたこともあったほどである。最晩年まで現役として活躍して、91歳で天に召されたサニョーリの死を悲しむべきではないかも知れない。とはいえ知る人の死は寂しいものである。訃報にふれてから、ぼくは毎日のように『セサル・サニョーリ・トリオ/古典タンゴ名演集』(テイクオフ TKF-CD-27)を聴き、いまもそれを聴きながらこの追悼文を書いている。このアルバムでは西村さんとぼくがエドゥアルド・アローラスの作品を中心に選んでいるのだが、あらためてその素晴らしさに酔いしれた。セニョール・サニョーリ、安らかに眠られよ!(「竹村淳の言いたい放題」2002年12月31日より)
 思い出すのは私のこと(エレーナ・ブルケ&オルケスタ・アラゴーン)、Pヴァイン(ペンタグラマ)PCD-248
 数えきれないほどの星(ポロ・モンタニエス)
 君しのぶ夜(トリオ・ロス・チカノス)、日本コロムビアCOCA-11167
 昔の姿を(アルベルト・カスティージョ)
 解説:竹村淳
 放送年月日:2002年12月24日(火) NHK-FM
 ML-1230


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Last updated  2020.05.18 05:25:03
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