音楽三昧+α

2021/03/13(土)15:00

3・11 顛末

歴史(753)

3・11 顛末 ツラツラと思いつくまま 2010年12月、1976年から勤めていた岐阜の会社を退職 12月15日千葉に建てたヘーベルハウスに引っ越し退職後、ローマ・パリの海外旅行を2011年3月13日出発で計画ローマは初めて、パリは会社の出張の帰りに1泊した以来 犬を飼っていたので留守期間、大阪にいた子供が面倒を見るよと、快諾 3月11日当日妻は近くのショッピングセンターでユーロ換金後被災私は新築直後のヘーベルハウスで被災今まで体験したことがない時間の長さ体感では1分以上何度も何度も揺れた犬は案外大人しかった うちの被害は1階のトイレタンクのフロートが外れて水が出っ放しになるすぐに元栓を閉め、トイレの給水栓をストップヘーベルが補修に来るまで2階のトイレを使用 テレビはミヤネヤを見ていたはず最初は東京の映像でお台場付近で黒い煙が上がっているというような報道その後はしばらく経って津波の映像 その日の夕食はエコハウスのキャンペーンで午前中に届いた鰻を食べる 翌日、大阪から娘が千葉に移動新幹線・つくばEXはすごい 旅行が中止の連絡を受けなかったので13日、娘の運転で成田へ途中被災した道路状況は悪かったが何とか到着瓦が落ちた住宅も多数 ツアーの同乗者は札幌(親娘)・大阪(夫婦)の人など10人程度飛行機の中はツアー客のほかは数人でガラガラCAの人も大丈夫でしたかと心配の掛け声 ローマではタクシーの運転手も「アースクェイク 大丈夫でしか?」と心配の声添乗員さんは湾岸の高層マンションに住んでいらっしゃる母上様の心配も現地のスタッフから東京は食料が不足しているので米、カップラーメンなどを差し入れされていた旅行者にも近くのスーパーで買った方がいいと言われたが、娘に確認すると千葉はトイレットペーパー以外は大丈夫の返答で特段の行動は起こさなかった ヨーロッパのテレビ放送は映像だけですが、白い防護服を着た人が除染をしている風景と福島原発の爆発シーンばかり途中、ドゴール空港の待合室で放送されていた天皇陛下のビデオメッセージが印象に残っている 旅行のスケジュールはとどこおりなく終了再び娘に空港まで迎えに来てもらい、帰宅帰宅途中は屋根に掛けられたブルーシートが目立った 娘は役目を終えて帰阪 大多数の人とはかなり違った経験でしたが人生は何が起こるかわからない私にとっては空白の1週間でした計画停電も経験していません その後自治会の救援活動では姉妹都市の相馬市に、ヘーベルハウスで大量にもらったサランラップやジップロックなどを支援しました

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