12月11日はペレス・プラード(キューバ:バンドマスター,編曲家『マンボNo.5』)の誕生日(1922年)
「ゴールデン・ペレスプ・ラード」(ビクター SWG-7086)12月11日はペレス・プラード(キューバ:バンドマスター,編曲家『マンボNo.5』)の誕生日(1922年) ダマソ・ペレス・プラード(Dámaso Pérez Prado, 1916年12月11日 - 1989年9月14日)はキューバのバンドリーダー、指揮者、ピアニスト。マンボ王(マンボキング)とも呼ばれる。 フルネームはダマソ・ペレス・プラード。キューパの楽団指揮者、ピアニスト。1916年(1922年説もある)2月11日、マタンサスに生まる。父は商業新聞の記者、母は学校の先生だった。10歳のころからピアノの手ほどきを受け、16歳でプロのビアニストとしてデピュー。やがて、ハバナへ進出し、21歳の時、カシノ・デ・ラ・プラジャの楽団でピアノとアレンジを担当。新らしいスタイルによるマンポのアイディアをつかむ。1947年、自作のマンボをひっさげメキシコヘ渡り、’49年ごろから「エル・マンボ」「マンボ第5番」など一連の傑作を録音して大成功を収め、「マンポの王さま」と呼ばれた。のち1953年にはスービー、’58年にはロカンボ、’61年にはチュンガ、’63年のボンゴソンやデンゲ・・・など、次々にニュー・リズムを発表、話題を賑わしてきた。1956年以降たびたび来日。1989年9月14日没(72歳)。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ペレス・プラードペレス・プラード楽団/プラチナム・ベスト~プラチナム・セレクション~ https://www.amazon.co.jp/dp/B00FMY2LUG このアルバムは、以前LPで持っていた「ゴールデン・ペレスプ・ラード」(ビクター SWG-7086)(ジャケットはペレス・プラードが赤い緞帳の前でポーズをとっていた)と同じ音源・日本来日時のスタジオ録音と思われる。シャープで鮮明な録音。(*)は「ゴールデン・ペレスプ・ラード」収録曲。 マンボ NO.5(MAMBO NO.5)(*) マンボ NO.8(MAMBO NO.8) セレソ・ローサ(CEREZO ROSA)(*) マンボ・オン・サックス(MAMBO EN SAX) マンボ・パチューコ(MAMBO PACHUCO) タブー(TABOO) バンブル・ビー・マンボ(BUMBLE BEE MAMBO) マンボ・ジャンボ(MAMBO JAMBO)(*) 黒馬のマンボ(CABALLO NEGRO) キエン・セラ(QUIEN SERA) 闘牛士のマンボ(LA MACARENA)(*) マンボ・ネグロ(MAMBO NEGRO) キサス・キサス・キサス(QUIZAS, QUIZAS, QUIZAS) マンボに夢中(LOCAS POR EL MAMBO) パトリシア(PATRICIA)(*) エル・クンバンチェロ(EL CUMBANCHERO) エストレリータ(ESTRELLITA) ベサメ・ムーチョ(BESAME MUCHO)(*) ソラメンテ・ウナ・ベス(SOLAMENTE UNA VEZ) ある恋の物語(HISTORIA DE UN AMOR)(*) ククルクク・パロマ(CUCURRUCUCU PALOMA) 南京豆売り(EL MANICERO (THE PEANUT VENDOR))(*) ラ・パロマ(LA PALOMA) テキーラ(TEQUILA)(*) アディオス・ムチャーチョス(ADIOS MUCHACHOS)(*) ラ・ジョコンダ(LA GIOCONDA)(*) ハバ・ナギラ・モモ(HAVA NAGILA)(*) タクシー運転手のマンボ(MAMBO TAXI DRIVER (EL RULETERO)) 市場のマンボ(EL MAMBO DE LA MERCED) ペレス・プラード楽団 録音:1967年7月21日、東京築地・日本ビクター・スタジオラテンミュージックランキング<プラチナム・ベスト>::ペレス・プラード楽団 [ ペレス・プラード楽団 ]価格:2455円(税込、送料無料) (2017/12/11時点)