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カテゴリ:歴史
![]() 京都府庁の旧館は私のお気に入りで、近くを通る時はいつも 訪れて中庭のベンチで一休み。その片隅に円筒形の石柱が置 かれてます。何だろうと思って説明板を見ると五条大橋の 橋脚とありました。 秀吉が京都改造に先立ち、三条と五条の大橋を架け変えた時 に設置した御影石です。橋は何度も流されてますが橋脚は残り、 明治に近代橋に架け替えた時や、昭和の川底工事の際に沢山 引き上げられてます。 用済みとなった石柱は現在、各橋のたもと以外に京都の各所 で見られるそうです。その数は100本近い。京都博物館、平安 神宮の池、丸山公園、どれも明治の作庭名人・七代目の小川 治兵衛が手掛けたものです。彼の技のひとつ、古材の巧みな リサイクルだそうです。 彼は市中の別荘庭園も手掛けているので、そこにも天正年代 が刻まれた石柱が見られるかも知れません。京都で石柱を見 かけたら、秀吉に思いを馳せてみるのも一興かも。 ご参考: そすいのさんぽみち/池泉用水 (21)三条・五条大橋の旧橋桁の利用例-1 現存する天正時代の橋脚をレポートした中西一彌さん(83歳)のHP ![]() <広重の三条大橋図> さて三条の橋脚に関しては、ひと騒動ありました。 歌川広重の盗作問題です。TVでも特別番組がありましたが、 彼の描いた三条大橋の橋脚がおかしい。秀吉の石柱橋脚で あるべきなのに木造です。 ![]() <明治の頃の三条大橋> 彼は江戸から京都まで、都に献上する馬の行列に同行して 「東海道五十三次」を描いたことになってますが、不自然な 風景や季節がおかしかったり、他の浮世絵と同じ絵づらが挿入 されていたりとおかしなところが多い。おまけに広重は当時、 火消同心だったので旅など出来るわけないという人もいる。 そこで、広重は東海道を旅せず、司馬江漢や歌川国貞の絵を コピペして「東海道五十三次」を仕上げたという説が出てい ます。まあ、たぶんそんな部分もあったようです。 (司馬江漢の絵そのものが贋作だという説もありますが) しかしコピペがあったとしても、仕上がった作品は広重なりの 感性と美が溢れ、ゴッホを始め世界の人々に感動を与えています。 模倣や引用は美術技法上の一手法とされる場合もあり、安易な 気分で盗作どうのこうのとケナすべきではないでしょう。 後年には広重は正確な三条大橋を描いてます。 ![]() 京阪電車に乗る際に何気なく渡っている三条大橋もじっくり 見直すと、様々な歴史やドラマが浮かんできますね。 ご参考: もさくの浮世絵はじめました。/
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最終更新日
2022/03/24 01:35:10 PM
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