テーマ:日本のお城めぐり(46)
カテゴリ:日記
No44.名古屋城(愛知県)
所在地 : 愛知県名古屋市中区本丸1−1 城地種類:平城 築城者 :徳川家康 築城年 : 1610年(慶長15年) 史跡区 : 国の重要文化財(櫓3棟、門3棟) スタンプ : 正門改札所、東門改札所 御城印 :販売有り 最寄り駅:名古屋市営地下鉄 市役所駅 最寄りIC:名古屋都心環状線 丸の内IC (駐車場:有料) 歴史背景:この地には那古野城(なごやじょう)がありました。 1532年(天文元年)頃に、織田信長の父(織田信秀)が今川氏親からこの地を奪いました。その後、織田信長が那古野城で生まれ、清洲城に移り住むまでの間、居城としていたという説があります。 関ヶ原の戦い後1609年(慶長14年)、廃城になっていた那古野城を、徳川家康が徳川の城として新たに築き、名を「名古屋城」改めました。大坂と江戸を結ぶ要の地として発展しました。 ![]() 天守は五重五階、地下1階建て大天守と小天守が連なる連結式層塔型です。 ![]() ![]() 本丸御殿は2009年から復元工事が始まり約10年、2018年6月に完成しました。正面に向いて大きな入母屋破風があるのは将軍家の伝統的な造りです。 正面に玄関は唐破風書院造で檜(ひのき)の香りが新鮮です。 徳川将軍の宿泊御殿として建てられた本丸御殿の上洛殿は特別で豪華絢爛な装飾です。 ![]() 襖の上が欄間になっていると襖を開けて使う部屋、襖の上が白壁になっていたら襖を開けないよう欄間と白壁で用途がわかるようになっていました。 ![]() 石垣は徳川家康が豊臣ゆかりの西国大名それぞれに場所を割当て積ませていました。 ![]() 名古屋城本丸東門の搦手桝形(からめてますがた)に「清正石」と呼ばれる大きな鏡石がありますが、残っている当時の資料では、この場所の割当ては黒田長政だったようで、立て看板で説明書きがありました。 ![]() 西北隅櫓(清洲櫓) 三重三階建て ![]() 西南隅櫓(本丸未申隅櫓) ![]() 内堀は空堀で水がありません。 ![]() ![]() 2018年の3月にオープンした金シャチ横丁は徳川将軍の名を借りて義直ゾーン・宗春ゾーンの2つに分かれていて、名古屋を代表する個性豊かなグルメ「尾張のうみゃあ店」がたくさん出店しています。 ![]() 現在の天守は鉄筋コンクリート造ですが、老朽化が進み、耐震性が低いため、木造建築で建て直しとなります。一般公開は終了しました。 名古屋市は天守の取壊しを今秋から始め、2020年6月から木造復元工事に入る予定としています。復元するにあたり多くの図面や資料が残っており、江戸時代にあった木造名古屋城の忠実な復元を目指しています。現段階の完成時期は2022年12月予定です。 ![]() ★名古屋観光ブランド協会 会長賞受賞 楽天ランキング1位常連 創業明治33年さんわ 鶏三和 鶏肉 手羽先が人気 ![]() 【期間限定半額SALE&ポイント10倍】【送料無料】さんわの手羽煮 醤油20本 創業明治33年さんわ 鶏三和 鶏肉 国産手羽先使用 常温 簡単調理 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.02.11 15:29:59
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