信じられないことがこの州の政界で議論されている。
高校卒業のdiplomaを受け取るには、高校課程終了の(簡単な)試験に合格しなければならない、という新しい法律が成立しかけていた。
ところが、6月の卒業式のシーズンを間近にひかえ、その法案は没になった、というのだ。
私の疑問
卒業証書というものは、学校に出席していました、という意味あいのものではなく、高校卒業相当の学力を身につけました、という証明書ではなかったのか?
もし、出席日数だけを意味するものであれば、diplomaという名前はなくして、卒業に足りる日数を出席した、という証明書に変えるべきではないか?
確かに、今の時期、この法案が仮に成立するならば、卒業のできない高校生がうんとでてくることはまちがいない。その子たちが被る経済的損失?を論じる人たちもいるのだが、いつか施行するなら、ぐちゃぐちゃ言っているより早く施行したほうがよいのではないか。
州として、あるいは国として、その国の高校の最低限の教育は受けた、という証明として、統一試験を受験させ、高校課程終了証明書を発行することは、それほどばかげたことではないと思う。
ならば、小学校や中学校を終えた、という証明書はどうなるか、という議論がでてくるかもしれない。
究極的には、やはり、五(なり六)年生の終了時、と、九年生の終了時にやはり、一定の学力が得られているか、試験をしてもいいのではとも思う。
しかし、事務的に困難であれば、やはり、高校終了時に一度だけ、でもよいのではないか。
永遠に高校を卒業できない人がでてきて困る、という議論もあるかもしれない。
しかし、現状でも、high school dropout という子供たちが存在する。
卒業できないのであれば、仕方ない、卒業できるまで、勉強するか、退学してもらうしかないのではないか。卒業証書を与えられる資格はないと思う。
社会問題を背景に、非常に奥の深い問題である。
これからどうなるか、興味深い。