また混乱
今週末もやっぱり混乱している私。2人で向き合っているときは、りんりんが既婚者であることも上司であることも忘れている。りんりんが家でどんな人なのか知る由もないけれど、上司であるりんりんと、昨日や先週のディナーのときのりんりんと全然違う1人の男だ。彼が今まで会った男と全然違うのは、私のことを知ろうとしていることだ。ケン・ワタナベやドナルドやD男(←過去訳アリの人々)は自分のことをしゃべるばっかりで、私のことを知ろうとしたり、聞こうとする人はいなかった。私はあまり話がうまくないし、きっと退屈なこともしゃべっているのかもしれない。人によっては私がしゃべることをほとんど理解できない人もいる。これが人の相性というものなのかもしれないけれど、私が話すことは彼にとってはものすごく新鮮らしい。質問の答えとして想定するA,B,Cではなく、Dという答えを出してくる。そんな人が好きなんだそうです。「そういう人って頭がいいんでしょうね」「結局そうなんだろうね!みしぇるさんもDっていう答えをよく出してくるよね」これほどのほめ言葉が他にあろうか。「あなたの興味はプリズムのよう」と言われた。興味に脈絡がないということらしい。私は確かにあらゆるジャンルの本や映画や音楽や人にオープンであろうと思っている。だからといって何でもいいわけではない。自分のフィルターで選択したものだけが興味の対象になる。そのフィルターが何かは言葉では表現できないのだけれど。一通り好きな本や映画なんかの話をしたら、「オレは浅い。ミーハーだ」と嘆き始めた。そう。トップガン好きだし(笑)ミーハーって別に悪いことじゃないと思うけれど、りんりんは私のような物の見方や考え方をどこかで求めているような気がする。だから私に興味があるのだと思う。つい、「りんりんさん、自分で意識していないだけなのか、それとも見ないふりをしているのかわかりませんけど、あなたはけっこう中身はぶっ壊れていますよ」と占い師のようなことを言ってしまった。自己破壊的。破滅的。自分の中にそんな部分があって、私はそういう人にたぶん引き寄せられてしまうのだと思う。ケンワタナベははっきりそうだったし、てつてつもそうだ。中島らもはだから好き。一方でそんな自分を冷静にみて、もう笑っちゃうしかない自分も確かにいるのだ。りんりんもお仲間の1人だと思うんだけどな。りんりんのお答え:「週末によく自分のことを考えてみます」ほかにもいろいろなことを話した。ものすごくおこがましい言い方かもしれないけれど、私のような指摘をする人間に彼は今まで会ったことがなかったのではないか。ちょうど私がD男に会ったときのような感覚を彼は覚えているのかもしれない。