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あの日、前日に片付けていたテレビが振動で頭に落ちてきて、出血
あたりが真っ赤になった。血はしばらくして止まったが、近くの 医院に行った。そこで医師からどうしたのか聞かれたが地震で テレビが落ちてきたとは言えなかった。岡山で1人が自動ドアの周り でケガをしていた。私は2人目になるところだった。 3針か4針縫ったことを思い出す。 その後、しばらくして神戸の震災の被災者宅の後片付けのボランティア に参加した。普通電車しか動いていなかった。 水浸しになった家で、被災者の方が何もいらない、子供たちの書いた 絵や作文など成長の記録たせけは残したいと。大島紬もたくさんの食器 もいらないと。もう物には執着しないと。そんなことを思い出した。 あの日生まれた赤ちゃんは26歳、何年たっても忘れてはならない一日。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月17日 23時44分18秒
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