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台湾役者日記

台湾役者日記

國興版(上)

■『風中緋櫻』、初めての再放送 ■ 05月10日(月)


有線テレビの「國興(グオシン)」というのは普段から「TVチャンピオン」やら「ぶらり途中下車の旅」といった日本番組を流している局なのだが、そこが今晩から『風中緋櫻-霧社事件』を放送し始めた。『風中緋櫻』、初めての「重播(ヅオンボオ=再放送)」である。まずはめでたい。

公共電視、とりあえずは國興への販売に成功したようだ。毎日夜9時から1時間放送。11時から再放送。

今日第1回の放送を見たら、どうも途中で終わっている。よく考えたら公視と違ってCMが入るんで、どっかで切らないと1回の放送時間が1時間を越えてしまうことになる。

もともとの正味が「片頭(ピエヌトウ)」「片尾(ピエヌウエイ)」含めて55分から55分30秒程度。國興の放送だって予告編も入れたりするし、たぶん1回あたり7分30秒くらいは余っちゃってるんじゃないか? この毎回余った分、っつうのを寄せ集めると、何回分かが増える計算になる。理論上は。

が、もしかするとどっかのシーンを削ってトータルでは(元の)20回で終わるようにしてあったりするかもしれない。わたしの出演シーンが(だけが)削られちゃってピッタシ20回に収まりました、っつうのだけは何とかやめてもらいたいのだが……。

今日の第1回は、ピホのオヤジのワリスらが脳丁の首を狩ったところで終わった(って、知らない人が読んでも意味不明)。途中でカットはしてなかったんで、この調子でいくと放送回数は20回では収まらない。予告編にわたしの出演シーンがチラッと出てきたから、カットはなしで、放送回数を増やす方向で、まあなんとかそのまま放送してもらえるんじゃないかと思う。……どうかな?

それにしても、「台湾映画の守護天使」と呼ばれている最高の剪接師(ヂエヌヂエシー=フィルム・エディター)・廖慶松(リアオチンソン=廖さん)が決めたエンディングを、こうも機械的にチョキチョキと切ってって順々に後へ送っていくというのは、果たしていかがなものか? っつうか、これでいくといずれそのうち、シーンの途中で「次回へつづく」なんてことになるんじゃないですか?(わたしの心配するようなこっちゃないんだけどね、全然ね。)

★注意★

今回中文につけたカナは、中断中の連載日記(w) 「中文カタカナ化計画」で紹介した小学館『日中辞典』初版巻末付録「中国語ピンイン-カタカナ対照表」のカナ表記とは、一部異なっている。小米(シアオミイ)暫定版である。まだ変わる可能性がある。じつはすごく悩んでいるのだ。それで、「カナ化計画」の連載日記を書きあぐねている。(この件はいずれまた…)



■『風中緋櫻』國興版 第2回(笑)■ 05月11日(火)


いま見終わった。

どうもこの<『風中緋櫻』國興版>関連、なしくずしに連載化しちゃうかも。いや、こんなの連載しようが中断しようが皆さんにはなんの関係もないことでしょうが。ただ、わたしもつまらん性癖の持ち主で、なんか2回以上共通する話題についてはタイトルを決めて連番をつけずにはいられないのである。(w

で、驚いたことに、第2回終わってもまだサラマオ戦が始まらない(見てない人には意味不明)。小ピホが夜、小オビン家の外で歌うたうとこまでで今日は終わり。予告編にまたわしが出た。きわめて(そこだけでは)意味のよくわからないショット。なんで出すか、そこを?



■『風中緋櫻』國興版 第3回 ■ 05月12日(水)


昼間、用事があって萬仁監督に会ってきた。

昼飯をごちそうになったあと引き続きコーヒー屋でコーヒーをごちそうになった。久しぶりにお会いしたのでいろいろと近況のご報告をしていたところ、朝からずっと晴れていた空がにわかにかき曇り、気がつくと店の外では何週間ぶりかというような大雨が降っている。

監督には諸方面から「歴史物の新作を撮れ」という要請が来ているらしい。が、監督は、「とりあえずしばらくは歴史物は避けたい。次は現代物を撮りたい」と言う。『風中緋櫻』はロケーションから道具(ダオヂユ=美術)から服裝(フウヅアン=衣装)から、何から何まで、えらく経費のかかった作品であった。あの苦労はすぐには繰り返したくない、というのが本音であるらしい。

話題はいろいろと移っていったが、やはり出るのは現在放送中の『風中緋櫻』國興版について。

監督 : なんであんなとこで切るんかね?
わし : でもまあ、前後の入れ替えはしてないみたい、っすよ。

國興でやってる予告編も気に入らないらしい。「公視に、なんで元の予告編を使え、って國興に渡さないんだ? って言ってやったんだけど、どうもそういうのは無理らしい。テレビ局同士で遠慮があるんじゃないか?」

監督にしてみれば作品はわが子のようなもんであろう。まあ監督は芸術家なんで、わが子のような自作品に対してもいろいろと不満はあるに違いない。それはあって当然だ。がしかし、そんな自作品であるからこそ、よそへ出すときには余計にいろいろと支度をした上で送り出してやりたい、ううう、という気持ちになるのではないか? いや、なったとしても無理はない。

雨宿りを兼ねて結局夕方まで聊天(リアオテイエヌ=世間話をすること)。どうもお互いにヒマだったようだ。

***

で、その國興版だが、やっぱり元の公視版からは着実にずれてきている。今日は日警4人組が分室でタバコ吸いながらウダウダと議論する夜戲(イエシイ=夜のシーン)で終わった。公視版だと第3回の真ん中やや前よりだったんじゃないか?

なんか、「このシーンはこんな順番でつないであったっけ?」と思うようなところも多いのだが、見終わって考えてみると、別に前後関係を元と変えてある様子はない。「うん、確かにこうだった、……ような気がする」と、後でうなずいているような按配です。

***

脚本の翻訳をやった関係で、クランクアップ後も1月、2月は公視に通い、字幕関係の仕事をやった。

撮影が終わっても、作品が放送されるまでには実にさまざまな後製作(ホウヅーズオ=ポスト・プロダクション)の過程を踏まなければならない。その各段階で日本語の台詞や字幕関係のチェックをしたんで、全20回の各回を、それぞれ5、6回ずつは観ているのだ。

作業は放送開始後も続いた。放送が作業の方にだんだん追いついてきて、最終回の字幕をのせたのはじつに放送前日の午後のことであった。

作業期間も後半になると、後ろのやつの編集が終わってそれを見終わった後に回数の若いやつの字幕のせをやり、その同じ夜にずいぶん前に完成したその日の放送分を観る。その後で今まさに音声ミックス処理の終わった二つ前のやつをチェック! などということになって、いったいどれが前でどれが後やら、話の前後関係が回数単位でわけわかんなくなっちまうんであった。



■『風中緋櫻』國興版 第4回 ■ 05月13日(木)


國興TVのWEBサイトに番組別の「討論區(タオルヌチユイ=掲示板)」がないか、見に行った。たしかにあった。が、『風中緋櫻』の討論區はなかった。

同じサイトの「今日節目表(ヂヌルイヂエムウビアオ=番組一覧)」を見て驚いた。『風中緋櫻』、なんと日に4回も放送しているのだ。8時、12時、21時、23時。このうち21時のやつが最初で、その後23時、翌日朝、昼と、3回も再放送するのだ。

公視のときは、20時に放送したやつを翌日13時に再放送。2回で終わりだった。國興版、どうも「酷使」っつうような感じが……。

いや、今思い出したが、公視での再放送は2回だった。忘れていた。20時に放送した後、深夜0時に第1回の再放送があったのだ。翌日13時のやつは、2回目の再放送だった。わたしの記憶はほんとに当てにならない。ポストプロダクションのあのころ、2月9日の放送開始後も作業は続いた。字幕のせなんかの共同作業が20時にぶつかったときには、なるべく0時の再放送までにうちへ帰りたいと思って焦ったのだ。そうだったのだ。

***

今日の第4回放送では、元の公視版第4回の途中にまで進んだものの、残り部分の長さを考えるととても明日の第5回で元の第4回全部が終わると思えない。

元の第4回というのは、村田先生の妻がえらいことになっちゃって最後に先生が霧社を去るという、大きな山場のある回で、これを見た視聴者はみんな泣いたという。

編集ができて最初のチェックのとき、何度も何度も同じ素材を見てきた監督、編集の廖(リアオ)さん、いつも辛辣な毒舌を吐く蘇(スウ)プロデューサーなどなどの面々が、全員グッとなにかをこらえてこの(元の)第4回を見終わった。

公視での第4回は2月12日(木)の放送で、21時に放送が終わった直後、廖(リアオ)さんの会社の人(女性)が、泣きながら廖さんに電話をかけてきた。そのとき我々はみんなまだ公視の編集室にいて、先のほうの回を作っていたところだったのだ。

そりゃあ編集者としちゃあ嬉しいでしょう。エレベーターホールへ出て携帯電話で相手の話を聞いてやりながら、わたしの方を得意そうに振り返った廖さんの表情が思い出される。

明日の國興版第5回では、この元第4回の山場がどのように編集されているのであろうか?

★注意★

今回中文につけたカナも、わたしとしては決して満足しているわけではない。とりわけ、「今日」を「ヂヌルイ」とするのには非常な抵抗を覚えた。これは、小学館『日中辞典』初版巻末付録「中国語ピンイン-カタカナ対照表」と同じである(ただし元の「対照表」では「ヌ」と「イ」は小文字)。いろいろいじくろうとしたのだが、どうしても別の書き方を考えつくことができなかった。『日中辞典』の「対照表」、やっぱ、よくできてるわ。がしかし、これが第2版で廃止された理由もなんか分かるような気がしてくるのであった。



■『風中緋櫻』國興版 第5回 ■ 05月14日(金)


今日、アパート1階の行きつけのスーパーマーケットで初めて「あんた、テレビに出てるでしょ?」と言われた。さすが國興テレビ。公視よりも視聴率が高いようだ。(つうか、ほとんど目立たないでひっそりと暮らしているわし、っつうのも、役者としちゃあまずくないか……?)

國興テレビでは日ごろから日本のバラエティ番組なんかを中文字幕つきで一日中放送しているので、「哈日族(ハアルイズウ=日本びいき)」と呼ばれるような女の子たちが「寵物當家(チユオンウーダンヂア=ポチたま)」見たついでにそのまま視聴しているというケースも多いのであろう。CMで寸断されつつの放送ではあるが、ありがたい話である。

台湾にはテレビ局が多い。地上波の「無線」放送局が5局。有線テレビは50局以上あるようだ。「なんだ、そんなもんか」とおっしゃるなかれ。台湾は九州くらいの面積に2300万人が住んでる島国である。そこへ50何局(もしかすると60局?)。しかも「無線」は民視以外が政府系とか国民党系だったりでつまんなかったりするんで、「有線」がむちゃくちゃ普及している。さらに、日本と違って首都-地方の「系列」っつうもんが存在しない。全員キー局のつもりという、実に恐ろしい競争状態にあるのだ。

***

さて、本日の第5回放送。モーナが小ピホに学校へ行けと説教する場面から始まって、村田先生失意の退場(元の第4回ラストシーン)で終わり……かと思いきや、CMのあとに元の第5回冒頭が約3分入ってきた。

来週月曜日の第6回では、今日最後に出てきた元第5回の冒頭を、もう一回最初から繰り返すんじゃないか? そうすると、公視版4回分が國興再放送版の5回分となり、元の全20回、月から金まで毎日放送の4週間分が、25回のちょうど5週間分となる。と言うことは、6月11日金曜日に最終回の放送が来る計算になる。

で、だからどうなの? と言われてもしょうがないわけなんですが……。


★台湾地上テレビ局事情

いい解説記事がないかとグーグルで探したところ、ぴったりのが見つかった。

NHK放送文化研究所のWEBサイトに転載された『放送研究と調査』2003年4月号分(2003年2月)掲載の記事、山田賢一『台湾の「党・政・軍」がメディア支配から“撤退”へ』。

この記事には、台湾の地上波4局の成り立ちが簡潔に紹介されている。地上波残りの第五局は、いわずと知れた「公共電視台」でありまして、これについてはまた後日、適当な解説記事を探しておきましょう。

山田賢一さんの、この記事は読みやすい。ほんとはここに丸ごと引用したいのだが、NHK放送文化研究所に無断で転載するのもまずいんで、お手数ですが、 http://www.nhk.or.jp/bunken/ugoki/u-r-0304.html へ行って読んでみてください。ページの真ん中下寄りの方、「メディア・フォーカス」というくくりの1本目です。よくまとまった、分かりやすい記事です。



■『風中緋櫻』國興版 第6回 ■ 05月17日(月)


今日は久しぶりに一日中忙しく、22時半に帰宅した。『風中緋櫻』國興版の21時からのやつは見逃した。これから23時の再放送を観る。で、眠いのでそのまま寝る。



■『風中緋櫻』國興版 第8回 ■ 05月19日(水)


もう元の第何回をやってるんだか、よく分からなくなってきた。理論上は、 第8回×(公視版20回/國興版25回) という計算式で元のどこまで進んだかが割り出せる。 =6.4回 となってるんで、今日の時点で元の第7回の半分弱のところまで来ているはずだ。

だからどうなんだ? ということなんだが……。

最近、いろいろと「おかず」のようなものが番組に盛り込まれているのを発見した。

ドラマの最後に「下集預告(シアヂイユイガオ=次回予告)」がつくのは初めからあったのだが、どの回からか、最初に「前情提要(チエヌチンテイヤオ=前回あらすじ)」というのをやるようになっている。途中から見始めた視聴者には、いったい何が起こってるんだか訳が分からないということなんじゃないか? さらに、CMのあと本編つづきへ入る前に、ジングルのようなのを入れている。これも放送開始時にはなかった。

だからどうなんだ? と……。



■『風中緋櫻』國興版 第9回 ■ 05月20日(木)


今日のは、小生の演じる「山崎主任」が酔った勢いで初子と二郎、花子と一郎の縁組を決めてしまうところまで。今回は「山崎主任」、けっこう出番が多かった。

「山崎主任」、居酒屋で部下を前に「デカンショ節」を放吟した後、「うわっはっはっは!」と高笑いするんだが、編集ではその後の「……あは~~あ」っつうような脱力息漏れ部分までもが入ってしまっている。ややつらいものがある。

この場面の直前、職場である分室において一郎二郎をほめるシーンで、「山崎」はもうすでにほろ酔いになっている。分室のセットのどこにも酒瓶やグラスの類は写ってないから、外で飲んできたんだろう。とは言え、霧社なんぞという山奥の話であるからして、飲みに行くと言えば「いつもの居酒屋」に決まっているのだ。

「山崎主任」、この分室ほろ酔いシーンの直後に、そのまた居酒屋で「デカンショ節」を歌うんである。この人、いったい日に何回居酒屋へ行くんか? 当時現場で、脚本見ながら監督に何度も言ってみたんだが、監督、「いや、ここは酔った演技でやれ」と言って聞かない。分室の方が撮影は先だった。撮った順番が後のほうになるほどいささかの進歩の跡が見えるものの、見ていて忸怩たる思いに駆られる部分も多い。この分室シーンの「山崎」なんかも、どうも自信をもって酔っていない。自分で見ててひやひやする。

いずれそのうちに、『三大怪獣 地球最大の決戦』における小泉博(「帝都工大・村井助教授」役)の演技についてうんぬんしようかな、なんて思っていたが、「お前なんぞ100年早い!」と言われるのは必定。そんな大それた思いは、自分の演技を見るとしおしおと萎えてしまうのであった。

でも居酒屋の「山崎」はけっこうちゃんと酔ってたっす。えへへ。



■『風中緋櫻』國興版 第10回 ■ 05月22日(土)


正午からの『風中緋櫻』國興版・第10回再再再放送を観た。

公視でやったのが最初の放送で、それから考えると國興TVのはもともと再放送なんだが、國興版・第10回はきのう金曜の21時が最初で、そのあと 1.昨日23時、2.今日土曜の朝8時 と、2回の再放送をすでに済ませている。わたしが起き抜けに観たのは三回目の再放送、すなわち、再再再放送になるのだ。

「山崎主任」、一郎に「花子と所帯をもって『模範家庭』を築け」と言い渡す(今日は酔ってない)。一郎は初子の方に惚れてたんで、これはショックだ。初子も父親から二郎との縁組を申し渡されて泣く。一方、新たに霧社へ配属された吉村巡査は、労役に駆り出された原住民を酷使。セイダッカ部族に不満の声が充満する。

ってなところまで。



■『風中緋櫻』國興版 第11回 ■ 05月24日(月)


今日の「山崎主任」は、演説2回(運動会開会の辞、および一・二郎花・初子の祝言で祝辞)、吉村巡査を叱責のシーン1回、居酒屋で昇進を期待している佐塚巡査をからかうシーン1回、その他3回の、合計7つのシーンに登場。

この運動会は1929年、霧社事件前年の霧社合同運動会である。

「合同」というのは、「霧社小学校」、「霧社公学校」および各「蕃童教育所」、それらの合同行事という意味だ。

「小学校」には内地人子弟が通う。幼いころから日本化教育を受けた一郎、二郎、花子、初子らは、原住民でありながらこの小学校に入れられた。「公学校」は、「本島人」(=非原住民系台湾人)を主体としつつ、原住民子弟も若干が通っている。「蕃童教育所」は各「蕃社」(=原住民村落)に置かれ、「蕃人」(=原住民)の子供を対象とした。

何の娯楽もない山の中で、北白川宮記念日前日のこの合同運動会は、毎年恒例のたいへん大きな年中行事であった。能高郡(いまの南投県のあたり)のあちこちから、大勢の内地人が集まって来るほかに、原住民も参加して、大人も子供も楽しんだらしい。

当時の山地警察は霧社地区の行政や教育のすべてを牛耳っており、分室主任は霧社における最高の権力者なのであった。だから「山崎主任」が運動会の開会を宣言しても不思議ではない。

監督は「主任の演説中に演台を仰ぎ見る児童たち」の絵を撮らなければならなかった。が、撮影現場の付近で集めてきたエキストラの子供たちは、まったくコントロールの効かない元気一杯のやつらなのであった。

「ミチオ、子供らの絵を撮るから、演台でなんか適当にしゃべっててくれ。子供の注意を演台に集中させるんだ。OK言うまで止まるな」と監督。

仕方がないので、従来の演説内容のあとに続けて、「えー、君たちにとって勉強というものは、あるいは退屈なるわざであると言えるかもしれません。しかしながら、今日のこの一歩が、明日のこの一頁が、将来においては、諸君にとって必ずや役に立つものになると、本職は固くそう信じるものである。そもそも大日本帝国の基は諸君ら年少なる国民の未来にかかっておるのであって、…………」などなどと、即興で果てしなくしゃべり続けたのであった。

言葉は日本語である。わたしの下手な中国語ではそんなに長くしゃべれないし、変な発音、変な内容、口ごもり、などがあってはこの子供らは黙っていない。したがって、わたしは山崎主任なら言いそうなことを、小学校の校長がやるように、一人ひとりの児童の目をわざとらしく覗き込むようにしながら、べらべらと、監督がOK言うまで、しゃべり続けたのである。

花蓮県林田山周辺の、タイヤル族原住民を主体とするエキスストラ児童たちにとって、これはよっぽど珍しかったのであろう。わたしの演説中、彼らは不思議な外国オヤジの奇怪な行動を、じっと静かに見つめ続けたのであった。

演説中にわたしの目の前でレンズ交換なども行われ、何種類かのカットを撮ったあと、攝影師(カメラマン)・陳家俊師父(師匠)が、カメラを手にもって子供らの列の間を縫っていった。と思ったら、今度は向こうの端からレンズをこっちに向けて、師匠、「山崎」に迫ってくる。最後は演台の真下まで陳家俊カメラマンが寄ってきて「山崎」のアップとなり、監督の「カット! ……OK」の声でこのシーンの撮影が終わったのである。「OK」がちょっと不満げな「OK」になっている。なんだろう?

子供らは奇跡の静寂を保ち続けた。「山崎」が演台を下りた瞬間、うしろのテント席から拍手が起こった。エキストラに混じって高雄から来ていた着物の着付けの先生がいて、彼女は台湾人ではあるけれども日本語がよく分かるのであった。

「どうですか、監督?」わたしはモニターの前の監督に近づき、得意げに感想を尋ねた。

「ミチオ、せっかく最後は山崎のアップになったのに、どうして最後にもう一回もとの台詞に戻らないんだ! 音声と合わなくなるから、山崎のカット、使えないじゃないか!」

ほめられるかと思ったら叱られた。わたしの機転が利かなかったのである。自分の演説に酔ってたのか、おれ? いやあ、惜しいことをした。

というような撮影ドラマがあったのが去年の9月。で、今年の2月に編集が終わった後、見てみたら、このときの子供たちのカットはほんの数秒しか使われていなかったのであった。

よくよく考えてみたら、もともとの山崎の演説は短いもので、その短い時間の間に山崎のロングショットとミドルショット、待機している一郎巡査のバストショット、運動会に参加している二郎警手、初子、花子らのミドルショット、同じくモーナ一家やピホのショット、山崎の部下である佐塚や小島のショット、などなどを重ねていかなきゃならんのであるからして、もとの山崎演説という台詞の長さ以上に長い児童の絵は、そもそも必要ないのであった。

が、映像ドラマというのは後で何が必要になるか分からない。撮れるものは撮れるときに撮っておく、というのは正しい判断なのである。そうなのである。そういうものなんである。

祝言のシーンは12月に撮った。このときの演説風祝辞、というのにも思い出がある。

祝言シーンの祝辞は脚本には書いていなかった。撮影現場で監督が急に「なんか言え」と要求したのだ。仕方がないから一二郎花初子のカットを撮っている片隅で、急いで起案。日本語で書いて、監督に見せ、中国語で説明。「もっと伸ばせ」っつうんで、また加筆。

「諸君のように優秀な後輩が、第二、第三の花岡一郎、二郎として、霧社の地に陸続と輩出することを願ってやみません」の後に「『三郎、四郎』とかも言え」と監督が言うんで、さらに加筆。結局あわてて書いてやっと原稿が仕上がったと思ったらすぐに撮影で、まったく練習する暇はなかった。が、まあ自分で書いた台詞なんでとりあえずは脚本の「ガイドライン」にそって何とか大過なくやれた。勢い余って、「第二、第三の一郎、二郎、三郎、四郎、五郎と……」と、予定にない「五郎」まで言ってしまったのはご愛嬌。



■『風中緋櫻』國興版 第12回■ 05月25日(火)


今日の「山崎主任」は、放送開始25分目にしてようやく登場。「どうしても教師になりたいんです」と懇願する花岡一郎に向かって、「われわれ日本人が手塩にかけて君をここまで育ててきたのは、君に手伝ってもらって部落の取締りをやるためじゃないか!」と言い放つ。

花岡一郎は、初めて師範学校に進学した原住民である。日本の統治当局は一郎たちを「模範蕃」と呼んできた。台中の師範学校へ進学させ、卒業と同時に巡査にした。まさに「部落の取締りをやるため」に、「山狩りに便利」な「優秀な猟犬」として、育ててきたのである(*)

(*)歴史上の花岡一郎は、ある程度は「教育」にかかわっていたようである。当時の山地警察は、原住民を服従させる「理蕃事業」の推進機関として、行政や教育のあらゆる分野を統括していた。

「花岡一郎は、一九二五(大正一四)年埔里小学校高等科一年を中退して台中師範学校講習科一年に入学、一九二八年卒業と同時に霧社で乙種巡査となり、一九三〇年四月から八月までマヘボ駐在所に勤務して「蕃童教育」を担当している。/『「マヘボ」在勤中の一郎は荒れ果てた麻畑の切り替へ改良は自ら裸体となり鍬を取り生徒と共に耕作等為したる為め指導園は見事になつた。」』/という。」
【宇野利玄「台湾における『蕃人』教育」/戴國[火軍]編著『台湾霧社蜂起事件 研究と資料』所収(104ページ)/ただし宇野は、この記述が『現代史資料22台湾(2)』からの引用である旨注記している。】

1930年は霧社事件の起こった年である。歴史上の一郎は、短い間ではあったが、「蕃童教育」を担当していた。もちろん、一郎を師範学校へ入れたのも、巡査にして出身地の霧社にはり付けたのも、すべては原住民支配という統治上の目的に基づいた当局の思惑による措置であったことは動かない。



ドラマの中の花岡一郎は、最初から、自分が出身部族と日本統治当局との板ばさみになることを恐れていた。一郎より年下だが先に「警手」(いちばん下っ端の見習い警察官)として霧社に着任していた花岡二郎は、不安を口にする一郎にむかって、「われわれが部落のみんなと日本人との橋渡しをするんだ!」と楽観的なことを言う。ドラマは、この両花岡の悲劇をひとつの山場としている。

一郎と二郎は兄弟ではない。同じホーゴー社(部落)出身で、いとこ同士である。「花岡」という名字は日本当局がつけた。この二人は、「全台湾の模範蕃社」霧社の目玉商品だったのである。

一郎に教師への道をあきらめさせたこのシーンの後、山崎は主任室で、「佐塚を主任にしちゃあなりません」と訴える小島巡査を、「この人事はもう発令された。君には機会はない。話は終わりだ!」と切って捨てる。「蕃通(原住民事情通)」の小島は、佐塚の強硬な対原住民姿勢を危惧。山崎は「霧社はもう落ち着いてきている」として、小島の不安に取り合わない。

場面は変わって、埔里(ブウリイ=ほり)の能高(のうこう)郡役所。台中州の管轄下にある能高郡の、行政の中心だ。「霧社分室」というのは能高郡警察課の出先機関なのである。

山崎から佐塚への「分室主任」の引継ぎ式が、郡役所の郡守(知事)執務室にて執り行われる。正面奥に郡守。向かって左に佐塚。右に山崎。郡守付きの書記も控えている。

さてここで、引継ぎ式をどういう形でドラマにするのか、という問題が生じる。

歴史書であれば「何月何日、郡役所にて引継ぎ式が行われた」と書いてしまえばそれでいいのだが、これはTVドラマなんだから、なんかそれっぽいことをやって絵にして見せなければならない。

このシーン、脚本に台詞はいっさいなく、ト書きが5行あるだけだ。現場では、さらに動作を簡略化して、

△佐塚從山崎手上接過印璽,二人互敬軍禮。
(佐塚、山崎の手から印璽を受け取り、両人、互いに軍隊式敬礼を交わす。)

というところを、台詞つきでやれ、と監督から指示が出た。

上の△印はト書きのマークである。台湾でおこなわれている脚本では、ト書きは「△」で示される。「今日は三角形(サヌヂアオシン)がほとんどだから、撮影はすぐに終わるわよ!」などという会話が現場ではよく交わされていた。しかし、台詞がなく行数の少ないシーンは、じつは最もやっかいなのである。台詞の受け渡しがないので、監督は、シーンをどうカット割りするかを全く手探りで考えないといけないのだ。

というわけで、この「印璽」の引継ぎ、どういう動作をやって、誰がどういう日本語をしゃべるんか、という問題がわしらの頭上に落ちてきたわけである。

わたしは「山崎」兼脚本翻訳者、さらに「座付き通訳・兼・その場で翻訳家」であるので、即刻その場で日本語を考えなければならない。

「印璽接受式」

これがわたしの考えた「儀式名」である。なんかそれっぽい。が、しかし、山奥の分室のハンコをわざわざ埔里(ほり)の郡役所まで持ってきて、それを後任のやつに渡して、さらにまた霧社までもって帰る、っつうのは、アリなのだろうか? しかもこの後のシーンで山崎は佐塚に見送られつつ霧社を離れることになる。っつうことは、「接受式」の後、また二人で霧社へ戻るわけでしょうか? 行きは山崎が持ってたハンコを帰りは佐塚が持つ、っつうんですか?

というような根本的な疑問は残るものの(だからして一応監督にはこの疑問をぶつけてはみたものの)、「それでいいのだ!」という監督の言葉には逆らわず、わしらは粛々と「印璽接受式」を執り行ったのであった。

この「印璽」。これがまた巨大。道具組(ダオヂユズウ=美術班)が脚本を見て、「絵になるハンコが必要」と判断してもってきたのに決まっている。これはもう、「御名御璽」級のやつなんである。もし分室のハンコがこれなら、能高郡役所の郡守印は骨壷級にでかくなるだろうし、その上の台中州知事印、台湾総督印なんかはもう、4人がかりでないと捺せないくらいな、兵馬俑級のでかさになるのではないか。

(でもそうなると、そのハンコをいったいどんな文書に捺すのか、っつう、新たなる問題が発生することに気づいたわし……。)

というような瑣末な疑問は飲み込んで、わしらは厳粛に儀式を遂行したのであった。

でも、引き継ぐハンコが「御名御璽」級だから、脚本にあるような「軍隊式の敬礼」は不可能。ハンコを受け取った佐塚は、腰を折って礼をするのであった。

このシーン、なぜかBGMには『水師営の会見』があてられている。もちろんこれは現場では聞こえてこない。編集後、音声ミックスの段階でつけるのである。明治43年製作の歌で、「旅順開城約成りて、敵の将軍ステッセル」というやつだ。この歌が次のシーンにまでかぶさっていき、トロッコに乗って霧社を去っていく山崎を見送りながら、佐塚が不適な笑みを浮かべるのである。

霧社の大将になった佐塚新主任は、原住民を動員して、土木工事をどんどん進めていく。ケガ人続出の原住民。狩りにも行けず、労賃は全額もらえない。吉村巡査は、「お前らが、入ったカネで酒ばっかり飲んで遅刻するから、工賃が減るのだ」と言う。

こうしてドラマは、霧社事件へむかって少しずつ動いていく。……のであった。



■『風中緋櫻』國興版 第13回 ■ 05月26日(水)


アパートの1階はけっこう広いホールになっていて、正面カウンターに警備員が常駐している。週のうち月水金の3日間は、警備員の隣に總幹事(ゾンガヌシー)が坐っている。部屋へ上がるエレベーターはこのホールの奥にあって、出入りするときには、この警備員と総幹事の横を通る。わたしは、彼らには必ずあいさつするようにしている。

「総幹事」というのはアパート管理組合の役員で、区分所有者の互選で選ばれる。任期は1年。区分所有者である家主からワンルームの部屋を借りているわたしは、組合のメンバーではない。が、毎月の管理費は、家主を通さず、1階ホールに出ている総幹事に直接手渡すことになっている。したがって彼には、わたしが何階の何号室に住んでいる何という人間なのかが、分かっているのだ。

管理費は共用部分の修繕や電気代、花壇の整備なんかに使われる。警備員の給与もそこから出す。組合の会合は定期的に行われ、決議事項や予算決算の承認決定などがホールの掲示板に張り出される。

例年、総幹事には中年ないし初老の男性が就任し、律儀に1階ホールでの待機受付を勤めるのだが、彼らがいったいどのようにして生計を維持しているのかは、わたしにはなぞである。もしかしたらみんなすごい金持ちで、勤めに出たりしなくてもよいのかもしれない。

きょう、外から帰ってきてエレベーターに乗ろうとすると、総幹事が後ろから声をかけた。

「エイエイエイ!」

エイエイというのは台湾人が他人を呼び止めるのに使う「嘆詞(タヌツー=感嘆詞)」である。あんまり目上に対しては使っているのを見たことがないが、さりとて相手を見下して発声するというものでもない。日本語にするとしたら、「おいおい!」から「もしもし、ちょっと」まで、場面に応じていろんなニュアンスに翻訳できるのではないか。

とっさに、「しまった、今月の管理費、払ってなかったかな?」と思ったのだが、そうではなかった。

「あんた、國興の番組に出てるだろう! 見たよ!」

恐るべし國興TV。公視の放送時には誰も気づかなかったのに!

「謝謝收看(シエシエ シヨウカヌ=ご視聴感謝)! 今日からはしばらく出てきませんが、また後半、霧社事件のあとに戻ってきて、後ろへいくほど悪いやつになっていきますんで、ぜひ引き続きご覧になってください」と言っておいた。

その『風中緋櫻』國興版、今夜の第13回であるが、原住民の不満はどんどん高まり、画面には「霧社事件前夜」のありさまが淡々とつづられていく。まずいぞ、佐塚! なんとかせんと危ないぞ!

子供のころ父親を小島巡査に銃殺された若者・ピホは、警察に対して挑戦を繰り返し、ついには捕えられてムチ打ちの刑に処せられる。

そのムチ打ち刑の執行現場に立ち会って、苦悩しつつ、吉村巡査の振るうムチの数を数え上げる花岡一郎。部落取締りの前線に立たされて、ピホたちからは、「お前はセイダッカなのか、日本人なのか?」と問い詰められる。つらいよなあ。

この「ピホ」というのは、架空の人物である。歴史上の霧社事件には「ピホ」という人物が何人も出てくる。セイダッカの人名はあんまり種類が多くないので、同名が何人もいるのだ。事件に加わって日本人を襲撃した原住民の中に「ピホ・ワリス」、「ピホ・サッポ」という人物がおり、ドラマの「ピホ・ワリス」は、それらの複合体である。

また、小島巡査というキャラクターは、実際に「小島源治」という人物が歴史上存在したが、ドラマでは、ほぼ別人、と言ってもいいくらい、大幅に脚色が加えられている。

「だったら全然べつの名前にすりゃあいいじゃん!」という意見もあるだろう。じっさい、撮影開始前にわたしもそれを会議の席で言ってみた。が、これ、非常に微妙な問題がいろいろあって、そういうわけにもいかなかったのだ。つまり要するに、「小島」「佐塚」「吉村」というような実在人物の名前は現地ではいまだに語り継がれていて、これを変えたとなると、「なにを遠慮しとるんじゃ! お前は台湾人なのか、日本人なのか?」と問い詰められる、という事態がドラマ関係者の身に降りかかるという構図が存在したのである。つらいよなあ。

さていっぽう、「蕃社(原住民部落)」の婚礼の場で酒に酔ったモーナの長男、ターダオから酒をいっしょに飲もうと誘われた吉村巡査は、「汚らわしい。触るな!」とばかりにターダオの手を払いのけ、これを「神聖な婚礼の場を乱す無礼」と受け取ったターダオ、バッサオの兄弟は、吉村を殴打する。

この殴打事件は、歴史上じっさいにあったらしい。少し長くなるが、総督府警務局の作成した資料がこの事件を伝えているので、引用してみよう。

台湾総督府警務局「霧社事件誌」
「第一編 霧社蕃騒擾事件/第二章 霧社蕃蜂起/第二節 事件の原因」より

「第四款 吉村巡査殴打事件

 尾上駐在所勤務巡査吉村克己は木挽【こびき】の技能を有し、同僚岡田竹松と共に霧社小学校寄宿舎建築用材伐出しの為め、マヘボ裏山シツシクに在りしが、事件発生の二十日前即ち十月七日午前十時十五分頃、霧社より造材所に帰還の途次、マヘボ社頭目モーナ・ルーダオ方前庭に差掛りたる際、同家には恰【あたか】も同社蕃丁オトン・ルビと蕃婦ルビ・バワンとの結婚式あり。其の祝宴に泥酔せるタヾオ・モーナは執拗に吉村巡査を引入れ酒を饗応せんとせるが、其の手足には屠殺セる牛の血液及肉片等附着し居り不潔極まりなきを以て、所持のステツキにて其の手を払ひたり。於茲【ここにおいて】タヾオは他人の厚意を無にするものなりとて吉村巡査に打ち掛り、果ては父モーナ・ルーダオ及弟バツサオ・モーナも加はりて、吉村巡査を組伏セ散々に殴打シタリ。この事実は直【ただち】にマヘボ駐在所より郡に報告せられたるが、郡よりわ〔ママ〕更に当時の模様ニ付詳細調査方符箋を附して下命したる侭【まま】其の復命を得ざる内に事件の突発を見たるものなり。

 一方モーナ・ルーダオに於ては必ず官憲より重き処罰あるべきを憂ひ、吉村巡査殴打の翌晩及数日後の夜の二回に亘【わた】り窃【ひそ】かにマヘボ駐在所に杉浦巡査を訪ひ旧慣に基く謝罪品たる粟【アワ】酒三本提出して尽力方を請ひたるが二回共之を一蹴されて引取りたり。本件が仮に短期間の留置処分に終るとするも、彼の社会的面目は潰れ、蕃丁統御上にも重大なる関係を及ぼすべきは勿論にして、彼の心痛は普通以上のものあり。延ひては【ひいては】此の材木運搬問題にて反官的気分の充満する機会に於て寧ろ当方より事を挙く〔ママ〕るに如かずとの決意を為す誘因たらしめたることは想像に難からず。」

【戴國[火軍]編著『台湾霧社蜂起事件 研究と資料』所載(373ページ)/〔ママ〕は所引文中に付けられたルビ、【  】は米七偶による読み仮名。】


なかなかの名文である。

もちろん警察の作った文書だから、たとえば「其の手足には屠殺セる牛の血液及肉片等附着し居り不潔極まりなきを以て」と描写された場面が実際にはどの程度のものであったのかはわからない。しかし、ドラマでは、祝いのケモノをさばいた後のタダオが、血まみれの手で杯を押しつけてくるさまが生々しく描かれた。日本側文書の通りに作っているのだ。

ドラマの「吉村巡査」のキャラクターには、資料に出てくる「杉浦巡査」も含まれている。そりゃあ実際の歴史にはおびただしい数の人間がかかわっているのだが、それをいちいち出したのでは、視聴者には何がなんだか分からなくなってしまう。

ドラマは、「小米酒(シアオミイヂウ=粟酒)三本」をもって詫びに訪れるモーナ、という(警察資料に基づいた)史実を忠実に再現している。駐在所に2回来るのも、資料の通りだ。

花岡一郎に向かって、「あのモーナが2回も頭を下げるとは、おかしいと思わないか?」と問い詰める佐塚主任。が、自分でその懸念を「いや、おれの思い過ごしだ」と打ち消してしまう。事態はどんどん悪化していく。



■『風中緋櫻』國興版 第14回 ■ 05月27日(木)


モーナ・ルーダオがついに蜂起を決意した。だぁから言わんこっちゃない。「山崎」が苦心して築き上げた霧社の警察王国も、いまや風前のともし火だ。

「ダナトゥヌを殺るぞ! おう!」と興奮するピホ。「騒ぐな! ことが台無しになる。警察に気取られぬよう、決起の日まで大人しくしておけ!」モーナはそう言ってピホを叱りつける。

「ダナトゥヌ」はセイダッカ語で「赤い頭」という意味だ。日本人は頭に日の丸の鉢巻をしていたので「ダナトゥヌ=赤頭」と呼ばれたのだという。時代がさかのぼって台湾にオランダ人がいた頃は、「ダナトゥヌ」はオランダ人を意味した。「紅毛人」だ。もしかすると、「紅毛人」→「異人」→「日本人」というふうに転用されたのが本当で、「日の丸鉢巻説」はこじつけかもしれない。

なお、『風中緋櫻-霧社事件』の英語タイトルは『Dana Sakura』という。セイダッカ語に日本語をつないで、「赤いサクラ(緋桜)」と言う意味になる。出身部族と日本との板ばさみになった二人の花岡。歴史の嵐に吹き散らされたヒロインたち。霧社山中に繰り広げられる血の惨劇。いろんな意味が重ねられたすばらしいタイトルだ。

不穏な空気を察知した花岡一郎は、モーナの様子を見にマヘボ社を訪れる。「わしはもう年をとった」と、妙に落ち着きかえるモーナ。吉村巡査は一郎の報告を信じることができず、山を下りてきたモーナの後をつける。

郵便局で貯金するモーナ。診療所にも立ち寄り、狩りのときに弓を引いたら胸にケガをした、と言って治療してもらう。吉村は、半信半疑ながらも、ありのままを佐塚に告げる。

「俺より心配性になってどうした。モーナの後をつけるとはな」。佐塚は吉村を笑う。「だが、もう分かっただろう。モーナは病気の老いぼれネコだ。反乱を起す力などない」。しかし、ときおりは佐塚の胸にも不安の影が差す。「モーナがケガをしたらしいじゃないか。どうしてお前から報告がない?」と、一郎を問い詰める佐塚。一郎の立場も苦しくなってくる。

このあたりの駆け引きは、まるで「忠臣蔵」だ。血気にはやるセイダッカの若者たちを抑え続けてきて、ドラマも後半に入ったところで初めて蜂起の意志を告げるモーナ・ルーダオ。まさに大石蔵之助である。警察の目をごまかすための「郵便貯金」なんかは、さしずめ大石の茶屋遊びだ。山地警察に酷使され、我慢に我慢を重ねたあげくの反撃というのも、「忠臣蔵」でおなじみのパターンではないか。そうすると、モーナの動向を監視しつつ、疑いを抱きながらも有効な手を打てない佐塚は、(吉良上野介の息子が養子に入った先の)上杉家の家老・千坂兵部にあたるのかな?

蜂起を決意したモーナ・ルーダオは、ある晩、「たまたま通りがかった」と言いながら、妹のテワスの小屋に立ち寄る。無言のモーナ。部族の歌を歌って聞かせるテワス。兄がここへ来るなど、絶えてなかったことである。言葉は交わさずとも、妹は、何が起ころうとしているかを察知しているようだ。まるで「南部坂雪の別れ」じゃありませんか。

モーナの妹、テワスは、かつて日本の警察官と結婚していた。ところがこの警察官はテワスを置いたまま姿をくらましてしまう。これは実話で、モーナの妹を置き去りにしたのは近藤儀三郎という実在の人物だ。山地警察は、一時期、警察官に原住民有力者の妹や娘を娶らせ、姻戚関係を結ばせて山地支配を円滑に進めようとした。テワスのケースもそのひとつだし、佐塚の妻もじつは原住民である。小島巡査なんかは、日本から連れてきた日本人妻と原住民妻と、二人の嫁さんと暮らしている。

夫に逃げられたテワスは体面を傷つけられ、実家のあるマヘボ社には帰れず、ホーゴー社でひとり暮らしをしている。モーナが妹のことを不憫に思わないはずはないのだが、頭目としての立場上、人前で妹に声をかけることすらはばかられるという状態にあったのだ。

台湾総督府警務局「霧社事件誌」
「第一編 霧社蕃騒擾事件/第二章 霧社蕃蜂起/第二節 事件の原因」より

「第六款 警察官の蕃婦妻帯問題

 旧南投庁時代に於ては蕃情の不穏打続き、蕃地の擾乱【じょうらん】絶へざる為め、当局に於ては窮余の策として有為なる職員に対しては、受持部内の頭目、勢力者等の娘を妻として迎へしめ、以て蕃情の収拾を策したる例あり。既述近藤儀三郎の頭目モーナ・ルダオの妹、又近くは佐塚警部のマシトバオン社頭目の娘、下山警部補のカムジヤウ社勢力者リツトク・ノーミンの娘、下松巡査部長のサラマオ社頭目ユーミン・ワタンの娘を聚〔ママ〕らしめたる如きわ〔ママ〕其の例なり。然も其の当初より結婚後の処置、特に其の遺族の扶養、子女の教育等に付相当の考慮を払はれたるものヽ如く、佐塚の妻及下山の妻が現に理蕃の嘱託として若干の手当を与へあるわ〔ママ〕茲【ここ】に原因するものと言はる。

 此の蕃婦妻帯奨励策は、蕃情蒐拾〔ママ〕の為には相当の成果を収め得たるも、婚嫁本人及其の子女にとりては一般蕃人の羨望さる程幸福にあらざる如く、曾【かつ】て佐塚の妻、下山の妻、近藤の妻は霧社分室主任宿舎に相会し、蕃人間よりは異端者として取扱はれ、内地人よりは蕃人なりと蔑視セられ、加ふるに其の中両名は夫より遺棄せられたる等の不遇を嘆き合ひたりといふ。以て一般蕃人をして内地人に対する反感を募らセたる一面、現在に於ても遺族の処置ニ付当局の悩みの種なるを知らざるべからず。」

【戴國[火軍]編著『台湾霧社蜂起事件 研究と資料』所載(375ページ)/〔ママ〕は所引文中に付けられたルビ、【  】は米七偶による読み仮名。】


「霧社分室主任宿舎に相会し、」「不遇を嘆き合ひたりといふ。」まるでその情景が目に浮かぶようだ。このように、警察主導で行われた縁組のいくつかが悲惨な結果に終わったことが、霧社事件の遠因のひとつをなしている、という説もあるのである。

ドラマは、いよいよ緊迫の度を増していく。佐塚や吉村から疑惑の目で見られていることを察知した一郎は、二郎をともなって、モーナの真意を確かめに行く。

「もしも反乱を考えているのなら、中止してくれ」と直言する一郎。
「おれたちは新しい部落を建設するためにがんばってるんだ。一歩ずつ進歩するんだ」と説く二郎。
「お前たちのからだには、(今でも)セイダッカの血が流れているのか?」と切り返すモーナ。

ついに一郎は、「もう止めない。だが、わたしはわたしのやるべきことをやる」と言い捨てて、山を下りる。

しかし一郎、君にはモーナやピホを切り捨てることができるのか?

「二郎、俺はこのことを花子には黙っている。お前も初子には何も言うな。分かってるな」。帰りの山道で、一郎は二郎に念を押す。「分かっているよ」と二郎。

ああつらい。もうかわいそうで見ていられない(でも見るけど)。どうなる、次回? 佐塚は事件を防げるのか(防げないんだけど)。


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