台湾役者日記

2004/07/14(水)04:52

『新選組!』「芹沢鴨」の人物像(7の4)

未決函(30)

〔承前〕 ------------------------------------------------ わざわざ「隊規」に「士道」云々を書かれなければならないような、そんな団体の構成員は、「武士」ではない。ところが「武士」でないのなら「士道」に縛られることはない。この「隊規」には大いなるジレンマが隠されている。 ------------------------------------------------ 新選組幹部・永倉新八の書き残した記録『浪士文久報国記事』(木村幸比古『新選組日記 永倉新八日記・島田魁日記を読む』PHP新書に所収。→某国出張の際、帰りに某国際空港内書店にて購入。 hehehe... )には「隊規」やら「局中法度」のことやらは一言も書かれていない。 ネット上で調べてみると、ヒロさんという人がやっている優れたサイト「なるほど!幕末」で、「局中法度」についての疑問点をとても詳しく調べてあるのを発見した(同サイトの「考察・エッセイ」のうち「覚書」>「4.山南敬介(1):新選組の脱走を禁じる「局中法度」は創作?&隊規成立時期」のページ)。 これによると、ドラマや小説でよく出てくる「一、士道に背きまじきこと」をはじめとする五箇条の「局中法度」は、子母沢寛が『新選組始末記』のなかで「創作」したもののようで、その元になったのは、永倉の回想をもとにした読み物、『新撰組顛末記』であるらしい。「なるほど!幕末」に紹介されている『新撰組顛末記』の該当記事をそのまま孫引きさせていただくと、 「新しい面々は烏合の勢、これを統率するにはなにか憲法があらねばならぬ。そこで芹沢は近藤・新見のふたりとともに禁令を定めた。それは第一士道をそむくこと、第二局を脱すること、第三かってに金策をいたすこと、第四かってに訴訟をとりあつかうこと、この四ヶ条にそむくときは切腹を申しつくること、またこの宣告は同志の面前で申しわたすというのであった」 となる。 要するに、永倉直筆の記録『浪士文久報国記事』やその他の史料には「局中法度」は出てこないが、永倉の回想談話を記者が筆記したとされる『新撰組顛末記』に四箇条からなる「禁令」の話があり、これをもとにして子母沢寛が小説『新選組始末記』のなかで五箇条の「局中法度」というものを「創作」した、ということになるらしいのだ。 『新撰組顛末記』に書いてあるとおりだとすると「禁令」は芹沢鴨が主導して取り決めたもののようで、土方歳三らが関与したようには受け取れない。すなわち、「土方」や「山南」が「芹沢」追い落としのために「禁令」を定め、それをまず「芹沢」側近の「新見」に適用する、という筋書きは、『新選組!』三谷幸喜脚本の創作だと判断してよい。そしてこの「創作」は、『新選組!』全編のテーマをあらわに表現する非常に優れた工夫だったと思われる。 まだ見終わってもいない「大河ドラマ」のテーマを7月の時点で云々するのは変な話だが、大筋では史実を踏まえるしかないわけだから、このドラマのテーマをとりあえず次のようなものとして考えてみてもそれほど間違ってはいないだろう。 『新選組!』のテーマ: 「徳川幕藩体制下において農民の子として生れ落ちた『近藤』や『土方』が、傾き始めた幕府秩序のなかに出世の糸口を見出し、『武』に秀でたおのれの特性を生かして上級『武士』に成り上がろうとするものの、目的達成の前に秩序全体が崩壊して出世の努力は水泡に帰す。」 「禁令」をテコにして「新見」を処分するこの第24回のシークエンスが優れているのは、ここに幕末政治闘争のエッセンスが凝縮されているからだ。 幕末の政治闘争は、単なる斬った貼ったの殺し合いではない。それは実に、法令の制定権と運用権をめぐるすぐれて思想的な闘いであった。 (この項、つづく)

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