カテゴリ:環境問題
週に二回燃えるゴミを収取場所に持っていく。これらは焼却処分。
毎度毎度、減らそうと努力しているつもりでもゼロウェイストには程遠い。 極め付けにモヤモヤするのは、庭木や雑草家庭菜園の剪定込み。 我が家が広い敷地なら一画に埋め立て場を作るのだが、残念ながらそんな土地もないし、虫の発生でたぶん近所迷惑になるだろう。 せいぜい乾燥させてからゴミ袋に入れるくらいしか現状できない。 リサイクルできるものはリサイクルステーションに持っていくのだが、これがかなりの家事労力。分別していざ持っていくとなると とても手に持てる量ではなく、車でリサイクルステーションまで持っていかなければならない。 我が自治体では車がないとどうにもならない。 リサイクルってどうなのよと思う節もあるが、リサイクルステーションに行くと夥しい量のリサイクル品があり、これが焼却や埋め立てされるよりはずっとマシだろうと思ってしまう。 私的にはリサイクルはエネルギーのロスが多いと考えているので、リサイクルは最小限にするべき。 最初からリサイクルありきの今の方法では 決して気候危機は救えない。 ゴミ出しは本当に心が痛むのだが、実は今 捨て活をしている。 今の家に引っ越してきてから30年近く。 クローゼットの中を引っ張り出すと、10年もの20年もの、30年ものとかなりある。 焼却や埋め立ては心が痛むので 割と家の中にそのまま置きっぱなしのものも多かった。 しかし、いずれこれらの不用品は私が死んだ後 必ず処分に困り、捨てざるを得ないものばかり。 死んだ後のことは知らん、他人に捨てて貰えば良いというのは自分的には全く納得できない。 それは 現代に生きる人類が散々化石燃料を燃やし、自然分解しないプラスチックゴミを海や山に置き去りにするのと同じだと思う。 理想は死んだ時に あの人ほとんど物を処分していたね。 と言われること。 なので、今、捨て活をしている。 昭和から平成へと生きてきた私達世代はとても罪深いと思う。 まだ子供の頃は今ほどモノが豊富になかったので、安くて便利なもの、プラスチック製品飛びついた。プラスチックの使い捨てを利用し始めたのは私達世代。 戦前生まれの両親はもっと物のない時代を生きた世代で、物を持つことが幸せのバロメーターだった。 なので、私の嫁入り道具など、かなりの物量だった。 そして、それが今私を苦しめる。 場所は占有するタンス、友人親戚の結婚式の引き出物、実家にあるつかわずに取っておいたものをごっそり持たされた。 30年未開封のものもある。結構処分してきたつもりだったが、これは親が持たせてくれたからとか、思い出深いとか、まだ使えるとか、捨てられなかったもの多数。 今、また厳しい目で処分している。 そもそも捨てるとはなんぞや? 漢字の成り立ちは 手偏に 舎 というのは 簡易的な建物の意味らしい。 本当のところはわからないが 調べた限りでは 昔、兵士が戦の時に宿営をつくり、次の戦に進むため処分(放置?)するところからきているとの事。 昔のことだから、全て自然素材だったから ゴミと言ってもいずれは土となるものばかりだっだろう。人口も少ないし、ゴミや金属などの加工で環境が汚染されても その場所を捨てて別の土地へ移動した。 人口が増えたことはゴミ問題と結びついている。 日本では江戸時代に江戸の人口密集で生活ゴミ(と言っても自然に還るものばかりだろうが)を、無分別にその辺に捨てていた事が問題となり、ある程度捨て場所を決めていたようだ。 その後プラスチックができてからまだ100年にもならないだろう。プラスチックがいかに罪深いか。 捨てるのは気がひけるが、いずれはゴミとなるものばかりである。 死蔵品を抱えたまま死ぬのはとにかく嫌なのだ。 良いか悪いかわからないが 最近はプラスチックでもわりとリサイクルできるものが多い。たしか、製鉄のときに使うコークスというものに加工されたりする(その割合は少ないだろうが) あと、もう少ししたらポリエステル素材のものや、ただ焼却処分されるものも何かしらのエネルギー(例えば発電)に使えるようになってくるのかもしれないことを少しばかり期待。 お片付けノートで見えてくる!大事なのは「捨てる理由」でした / Moca (整理収納アドバイザー) 【本】 【中古】1週間で8割捨てる技術 /KADOKAWA/筆子(単行本) 【新品】新「捨てる!」技術 辰巳渚/著 【新品】捨てる残す譲る 好きなものだけに囲まれて生きる ディスカヴァー・トゥエンティワン フランシーヌ・ジェイ/著 弓場隆/訳 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
July 25, 2021 10:52:49 AM
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