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碧山窟

エクスタシー

その語源は新約聖書にある。

εκ(エク) 接頭語 離れる 除去
στασιs(スターシス) 存立 存続

そして、 εκστασιs(エクスターシス) 忘我と訳されている。
誰もが聞いたことがある言葉。それは「エクスタシー」

*

遺伝子を交換する生命体が狂おしいほど求め、帰って来た人たちは報告する。
「まっしろな世界」
そのとき、生命体には何が起こっているのだろうか。

進化論の中立説は正しいのかも知れない。しかし、遍在は不安を返す。
擬態をそれで説明できるだろうか。

*

昆虫の専門誌「インセクタリウム」にかつて熱帯に棲む蛾の幼虫の報告が掲載された。
謎はますます深まる。
その蛾の幼虫は、付近に棲む毒蛇の頭そっくりの色と形を得ている。

植物が匂い物質で対話しているという魅力的な研究が報告された。
コマツナにハダニがつくとコマツナはハダニの天敵であるカブリダニを匂い物質で呼ぶという。
植物は動けないだけにリスクが高い。さらに遠くの仲間たちと分け隔てられている。
植物は、花粉の運搬者として昆虫を「使おう」とした。
明らかに意思がある。そして目的をもって地上を行動している。
植物のセンサーはどこにあるのだろうか。
私たちはまだ、植物の「エクスタシー」を知らない。

*

昆虫の擬態の戦略、蘭の花が特定の蜂を使って花粉媒介をしようとする戦略。
遺伝子の状態はゆらぎを持って変化しようとしている。
彼らには明らかに目的がある。そして、自らを目的に向かって組みなおしている。
それを「進化」とは呼ばない。この言葉を捨てよう。

子孫へのPDCAサイクルは見事に回っている。
寄生虫の戦略。菌類とツチアケビの共生。
気が遠くなるほどたくさんの種のサイクルを思いうかべると、そこにはどうしても必要なものがある。
それは、命の自らを俯瞰する「第三者の目」だ。

「第三者の目」は通常の意識を超えて常に目的を探している。
私の内には、私が知らない私を凝視する「第三者の目」がある。

*

歌う人々、踊る人々、祈る人々、創作する人々。
その目的地には「エクスタシー」がある。
もちろん、その時も。

植物は私たちが思うよりはるかに高い「エクスタシー」を持っているのではなかろうか。
それは、形質の変異の激しさと適応の有様にあるような気がする。
「エクスタシー」の状態にある生命と生命とが出会ったとき、
そこには「共鳴」が生まれるのかもしれない。
命と命とは「共鳴」によって「約束」を成立させるのだろう。

目には見えない。耳では聞こえない。
その約束は互いに提案をする。
定量化できるだろうか。
ナノテクノロジーはそれを可能にするかもしれない。

*

「エクスタシー」がいつ私に訪れるかはわからない。
平凡な日常のある日にでも起こりうる。
また、探求者に報いをもって現れることもあるだろう。

Αιτειτε(アイテイテ) 求めなさい
και(カイ) そうすれば
δοθησεται(ドーセタイ) 与えられる
υμιν(ヒューミン) あなたがた

そのとき、私たちの内にある「第三者の目」は何を語るのだろう。
そして何を託そうとするのだろう。
未来に向かって。



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