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テーマ:心の病(7314)
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「贅沢はステキだ」というブルータスがあった。そしてポパイ、オリーブも。
いま、おぃらはサライとBE-PALの山を処分している。 その理由とは「意味」にある。 * とある書店が閉店するときに、サライを処分しようと思っていますといったら 「捨てないでください」 と言われた。 それは図書のよどみのうたかたを見た人にすればかく望むこともわかる。 債務整理の最中であるからなおさらだったのだろう。 わが子の夏休みの自由研究で、砂鉄から鉄をつくつていたときのこと。 実は蒲生氏と伊達氏が領地を奪い合ったのが自分の近くで、子どもの頃、山に行くと金銀を掘った穴の跡があり、それは戦後も掘られていたらしいとしった。 それが証拠にこのザラ水晶。山塊が一体としてある。 これがあるところには金があるという。 それが「意味」だ。 買おうと思ったら、とある医療法人が手早く買っていた。 負けた・・爆 贅沢の彼岸を思うと登山家の植村がでてくるのは、たぶん彼が自分の飢えをみたしてくれたからなのだろう。 たしかに贅沢とはステキであり、あるのだがそこには彼岸がある。 植村とケロシンストーブはその極地でもある。 * そんなことに関係なく、巷には広告があふれる。 その岸辺に良寛の般若心経の写しがあった。コピー代15万円。スキャナで読んだものではあるのだろうが、写しで値段がつけぱそれでよいのだ。 その、良寛の心経を今、てもとにひろげているがいゃー美しい。 もちろん、無料。広告のコピーだよ。(笑) 世界にアンテナを広げて認知はしている。 そのつもりにさせられている。 ここでうまれた私はここで悩み、そして笑い、そして死ぬのだろう。 思った通りではなく揺り動かされ、違う人生ではあるが、私はいきてある。 そして小さな声で、毎日を「楽しい」と言えるようになった。 * 贅沢はステキではなかった。 見栄をはることの苦痛でしかなかった。しったかぶりの果てに絶望があり、絶望が前提であっての「贅沢」だった。 それとは、若い女性がなぜにこれほどまでに肌をいため髪をいためて有名モデルの真似をして「浪費」しているのかを知ったから。 健康をビジネスとしていながらその反面、若いうちに不健康を仕込んでおく。 広告代理店はそれくらいしかもうできないのだろう。 そして一部の人たちは気づいている。 若い人たちが「おまけ」やプレゼントを嫌がるのを知らないのだろうか。 もらっても困るものは「捨てる」のだ。 * 見栄を捨てて、ひとびとにつかえることをよろこびとして生きよう。 絶望再生産の仕組みに気づいてよかった。 雑誌ほど愚かしいものはない。 自分にとってその頂点はサライそしてBE-PAL。 提供者を喰う仕組み、提供者から踊らされる仕組み。 ジュリアナ東京ってあったよね。 だから、今は、静かに踊ろう。 静かに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年06月13日 06時39分14秒
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