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認知症 ~dementia~
定義:
後天的な脳の器質的障害により、いったん正常に発達した知能が低下した状態
(「いったん正常に発達した」という点で知的障害と異なる)
原因:
・脳血管性の疾患--脳出血・脳梗塞
・退行変性疾患---アルツハイマー病・パーキンソン病・ピック病等
・内分泌・代謝性中毒性疾患
・腫瘍性疾患----脳腫瘍等
・外傷性疾患
・感染性疾患----クロイツフェルト・ヤコブ病等
・その他
このうち、外傷性疾患に含まれる慢性硬膜下血腫と、
その他に含まれる正常圧水頭症を原因とする認知症は治療可能
認知症をめぐる社会的状況
・1975年=平均寿命→女性76.89歳・男性71.73歳(65歳時の平均余命から算出)
亡くなるまでに認知症にかかる割合は10%程度・認知症期間も短い
・2005年=平均寿命→女性88.44歳・男性83.45歳(同上)
男性の2割、女性の3割が亡くなるまでに認知症の状態になる
このまま平均寿命の伸びが続けば、親4人(=夫婦の両親)のうちの1人、
すなわちほとんど全ての家庭が相当期間に渡って
認知症高齢者の介護を経験する時代がすぐに訪れる
介護者の心の健康
困難な問題に対する心の揺れ
1.問題の存在の否認
↓
2.問題の理解と混乱→3.解決の努力と怒り→4.解決の放棄と失望→5.受容
└──────────葛藤──────────┘
自分の介護生活を振り返ると、1.~2.を経験したのが2002年の3月~6月にかけて
次々と起こるありえない事件におろおろしながら、
病院をめぐっては絶望的な診察結果を聞かされてうなだれた日々
そして2002年7月から2004年くらいにかけてが、2.~3.の繰り返し
介護保険を利用し始めたのは2002年秋になってからだったが、
思えば、介護保険に頼る前の数ヵ月が最悪の生活状態で
自分としてはいちばん疲れ果てていた時期だったかもしれない
その後、2005年頃から心の中にあきらめが定着して、
やり場のない怒りの感情はしだいに消えていった
この時は4.放棄と失望より前向きな精神状態になっていたから
5.に近いモノが醸成されつつあったと言えるのだろう
それでも完全に5.受容の域に届いたのはもう少しあと、2007年に入ってからだった気がする
アイデンティティ・クライシス
介護問題を受容して新たなケアのありようへと変化していくには、
介護者のアイデンティティの変化も必要とされる
すなわち、「仕事・趣味・友人関係などの喪失」「人生の目標の変化」
「認知症家族との関係変化」を乗り越えて、
『介護しつつ生きる自分』の人生の意味をあらためて定義しなおす必要がある
この危機、アイデンティティ・クライシスを克服するのに
自分の場合は結局3~4年を費やしたのではないかな
それでも、真の精神的危機と呼べる状況からは半年~1年くらいで脱することができて、
その後はケア・マネジャー等介護関係者との話し合いの中で
さまざまな面におけるそれなりの解決策を模索しながら
試行錯誤の生活を徐々に受け入れていった
今、まとめて振り返るとそういうことだったと思う
そして突然、介護生活が終幕を迎えた今、
全てにおいて全くやる気が起きない状態におちいっているのは
再び同じ危機、ぃゃ別の危機、ぃゃ別の同じ危機、に直面しているということなのだろう
そう考えると少しは気分が楽になる
つまり、「科学的にしかたのないこと(笑)」と割り切ってしまえば良いのだ
最後に、
「介護」のキーワードでここへたどり着いた方々、
そしてまさに介護生活に入ろうとしている方々へ
『介護しつつ生きる自分』の人生の意味をあらためて定義しなおすために、
もしくはそこへ到達するまでの葛藤を乗り越えるために、
今回の講演(by精神科医師)では次の3点を重要視していた
・問題を一人で抱え込まずに、解決策がなくても相談はする
・介護の問題から離れている時間(寝て過ごす・遊びに行く)を確保する
・「認知症」「介護」にかかわる問題だけでなく、
「自分の葛藤」(I message)をも共感を持って話せる場を見つける
多くの家庭が認知症高齢者を長期間に渡って介護するという、
人類がこの現代日本で初めて直面する事態に、
前世代の常識や経験で対処することはできない
↓ ↓ ↓
認知症高齢者の介護という文化や社会制度を創造し世界に向けて発信していく必要がある
↓ ↓ ↓
今、介護にかかわっている方々と、介護生活を経験した者は
誇りを持って介護をするとともに、パイオニアとしてその経験や技術を
(介護者へだけでなく、医師や介護スタッフに対しても)語り伝えよう
↓ ↓ ↓
地域に認知症高齢者がいることも、上手な介護の方法も
当たり前の常識となって世の中に受け入れられるように、
介護経験者として地域に存在し、介護をする人々の理解者になろう
腑抜けのあちきでも少しは勇気が持てた
とても勉強になる良い講演会だった