|
カテゴリ:アセンション
普通に仕事を持っている身なので、修行のみに生きるというわけにもいかず。
寝床で受けたのは、電話。 「お休みのところすみません、お客様が…」と店から。 月曜日はあちこちからとんでもなくいっぱいメールを飛ばしてくれるもんだから。 読んでる最中にも次々ピンポ~ンと飛んで来る来る。 上司から、店から、他店から、あーもうこのまま家に居たんでは休みにならぬ。 そんでもって。 今日は何をしたら良いでしょうか?とハイヤーセルフさんに聞いた。 (無言) そういう時は答えてくれないっす。 自立と選択だから、自分で考えろっちゅことです。 うーん・・・と考えた。 とにかく、足腰鍛えるために歩こう。 そんでもって、行く先はこれまた結局仕事絡みで、もう1個の店に。 仕事用書類を抱え、徒歩開始。 いつものチャリ道を徒歩で行く。 しかし目は太陽凝視。 アカン、このままじゃビルの影に隠れるのがイヤでずっと西向きに歩いて行っちゃう。 太陽さんから送り込まれるパワーが気持ちよくて、目を逸らしたくないっていうか。 「えと、今からちょっと曲がります、影に入ります」と報告して。 ビルの影から太陽さんが見えて「バァ!」って言ってる自分が可笑しくてワロタ。 かなり子ども化しております(笑) 一人で道を歩きながら、えへ~(^^)って笑顔なので、すれ違う人が見ます。 良いのです。 目の前に、車からポイ捨てタバコが転がってきて、少し悲しくなりましたが。 エイっと踏んづけるに留まったことにも、少し不甲斐なさを感じてしまって。 都会の中をゴミ袋を持って歩くほどには、まだ修行が足りんな…。 歩くことも禅だという。歩くことで気付くことがたくさんある。 当たり前、というプレゼントを誰もが日々手にしているということに気付く。 ここに居ながらにして、誰も気にも留めずに日々宇宙と伴にいたことに気付く。 毎日が素晴らしいことに、やっと初めて、気付く。 心眼を開く。 それが今の私の大命題なわけですが。 目に映るものを見ていてはダメなのです。心で見なくちゃならんのです。 目に映るものは、目の前に物質として存在しているもの。 そうではないものを心で見る。 そこに光はあるか、愛はあるか、感動はあるか、真はあるか、神はあるか。 都会の雑踏を歩くと、そういうものはなかなか見当たらないというのが現状。 しかし実はそういう闇のように見えるものの中にも、真実はあり、神もいるのだけど、目に見える形では存在していない。 闇のお役目を果たしている姿の中を覗きこむように見ると、本来の姿はまったく違っているのだ、と気付くことが心眼。 なんとなく違和感を感じて生きている人たち、そう、今私と一緒にエスカレーターに乗ってる人達の中にも、ライトワーカーとして生きるのだと決意してきた人もいるはず。 誰でも思い出すきっかけは今までもあり、これからもあるに違いない。 見過ごさないで、注意深く見つめてほしいな…と思う。 私も子どもの頃、どうして生きているんだろう?と違和感を感じていた一人。 生きるって何だろう?なんでここにいるんだろう?なんのために? 誰でも、そんなことを考えたことがあるはず。 それなりに解答っぽいものを得てなんとなく満足して、それ以上追求せずに来たこと。 でも本当にその答えが合っていたのだろうか? 今の生き方に100%の満足を得ているのだろうか? 何かが違う…と燻っているものはないだろうか? 昔むかし生まれる前に、よしっ!と思っていたこと、それを思い出せたら。 心が満足して進める方向を、見つけられたら。 すっごく楽しいと思う。 というよりも、私はすごく楽しい♪ 少し前、「あなたの将来は起業して社長になってお店を持ってテレビに出てる、有名人もたくさん顧客になるよ~すごいね~!」といわれた。 ふぅぅん、そうなのか、と思った。 しかしなんとなく、それがものすごく魅力的なこと…には思えなかったのだ。 それが、私の生きる目的なの?って。 最後は、「78歳で、病気を患って店を閉めて病院で死ぬ」といわれた。 ふぅぅん、そうなのか、と。 なんかそれじゃ金儲けだけが人生の目的なら、そんなに楽しくなさそうだなぁ…と。 だから、顧客になってくれる人には喜びと愛を受け取ってもらえる店にしようと考えてみたり、何かの付加価値のある商売をしようと考えたり、それなりに将来的展望を練ったりもした。 だけども今は、「風変わりな博愛主義者で、周りには受け入れてもらえないが人に尽くす人生」といわれた、もうヒトツの未来像のほうが、シックリくる(笑) ある未来の映像を見る能力を持つ人がいたとして。 その人から伝えられる情報は、その人のフィルターを通したものだ。 彼女は、私の頭上に「キラキラしたものが見える」と言った。 それを彼女のフィルターを通すとダイヤモンドに見えた、というのだ。 彼女にとってはキラキラ=ダイヤモンドだったので、将来は「宝石店をするに違いない」と結論づけた。 そういう読み違いは致し方ない。 でも今は、私にはその光の意味が解った。 ダイヤモンドの光ではなかったのだ。 私の発する光、だったのだ。 その光がダイヤモンドに見えた、というのは光栄である。 昨日のクリスタルをダイヤモンドにするくらい、ピカピカに磨いて、ピカピカ光らせるぞ! よぅぅし! がんばんべぇ~♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.29 00:31:20
コメント(0) | コメントを書く
[アセンション] カテゴリの最新記事
|