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カテゴリ:太陽さん・自然さん
久しぶりに大きい空を眺めていた。
ダイナミックな雲の動きに、何度もシャッターを切った。 今日の雲の動きは複雑で、下層は北西に、中層は東に、上層は止まっているように見えた。 飽きずに眺めていて、厚い雲がだんだんと途切れて雲散霧消していくさまを 目の当たりにして、日の光の量が増していく風景を見つめていた。 *** *** *** ここは今曇ってるけど、あちらの光の差し込んでいるところは、キレイに光の筋が見える。 太陽のいる角度ははるか上空だから、雲のひとつが動くかどうかなどは関係なく、日本中くらいなら地面に対してほとんど同じ角度で降り注ぐんだなぁ。 そういえば半月前はあっちの高野山に登って、1週間ほど前は向こうの四国に渡って、昨日は後ろの湖まで行ったんだよなぁ。 でもほら、全然距離なんてないのも同然、あっちも向こうも後ろも一辺に照らしてる。 *** *** *** この隙間から見えてる青空ってほんとは宇宙だよね。 でその宇宙ってほんとは意識で出来てて、物質的に小さな私が思う想念ですら影響を与えることが出来るエネルギー場なんだよね。 そんでもって、その宇宙にはほんとはたくさんの魂がいて、今も地球を見つめてるんだよね。 ひゃ~繋がってるなぁ。こんなに広いところに繋がっちゃってるんだなぁ~。 *** *** *** そんな思いで、気付くとニンマリ微笑んでいる私(笑) 広い空に浄化してもらったみたいだなぁ。 ただただ、雲の動きを見ていたときに、ふと思った。 闇なんて、ないんじゃないか…って。 この雲に覆われて降り注ぐ光が少ない時は、あたり一面薄暗く、どんよりと小さな闇。 少し雲が割れてきて、光の筋が幾本も地上に届くと、その辺りだけ光。 やがて、大きく雲間が広がり、空の青さが増すごとに、増大する光の量。 地面はさきほどと同じ状態なのに、見る者の目には、光が増えたように、明るくなったように見える。 心の状態も同じで、今までその環境に馴染んでいて闇だとは思わなかったものが、自分の立ち位置が変わり光に近づいたと感じたら、その環境が闇に見えてしまう。 闇自体は存在せず、光の量によって闇と見えてしまうだけなんだなぁって。 いや、実際には人間には太刀打ちできないような漆黒の闇っていうか自分から闇を発するような存在もいるのかもしれないけれども、私たちが認識できる闇程度は、眼の錯覚って部分が大きいのだろうと思ったのです。 だからこその、心眼、なんですね。 わかりました。 はい。 すんません。 「何をいまさら…」という声がどこからともなく…(--;)。 あぁ、厳しいわハイヤーセルフさんったら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.05.31 00:32:41
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