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カテゴリ:次元
あ、という間に日が過ぎ。
会議で走り回ったり。とにかく面接面接&面接だったり。 お店にはCloudさんと光るー☆さんが来てくれたり。ありがとね♪ 時間が飛ぶように過ぎていきました。 やるべきこと、やりたいこと。 その時・その時に集中して、その時に生きて、気付くと今、私はここにいる。 時間の経過を意識することなく、自分の肉体の動きや思考の動きとともにおり。 それが時間として現れている、という感覚。 そして殊更、3次元世界に身を置いているとか、次元を高く保たなくてはなどと意識することなく、ただただその瞬間に自分自身であるだけ。 やってることはちょー3次元だとか、煩悩まみれだなぁ~とか、それもまた当たり前なことなので、それすらも意識していない。 去年は、高次元であらねば、自分を常に意識して安定させていなければ、というようないわゆる「縛り」のようなものをまだ持っていたのかもしれない。 今はその縛りすらなくなり、良い悪いの判断もなく、それでいいんじゃない?っていう気持ち。 ここが全てであり、ここ以外に何もない。 どこか別天地で素晴らしい体験をすることが、至福なのではない。 何かをすれば高次元で、何かをしたら低次元になるわけでもない。 低次元でもあり高次元でもある。素晴らしい場所でもありくだらない場所でもある。 至福に満たされることも出来るし、煩悩で苦しむことも出来る。 全てここにある。 そして同じく自分自身も、低次元でもあり高次元でもあり、素晴らしくもありくだらなくもあり、至福でもあり煩悩でもある。 それを見ている、というだけ。 そしてまた自分という括りも、ひとつのピースを動かすと他のピースが動き、それが周りに波及していろいろと変化が起こる、その事象のひとつ、が自分だ。 その観察対象のうちのひとつ、なのだ。 感情の動きひとつひとつが、行動のひとつひとつが、観察対象なのだ。 そのひとつを取り出して、高次元だ低次元だと判断しているとすれば、それは自我の仕事。 私とは、自我が判断を下している姿さえも観察している、その存在なのだ。 ふぅん、それは楽しいって思ってるんだね♪と。 へぇぇ、そんなことに反発しちゃうんだ~と。 荒波に揉まれていたり浮いていたり沈んでいたりする自分という存在を、面白そうに楽しそうに見つめている、それが私だ。 そして3次元世界に身を置く私は、この世界って楽しいなぁ♪と日々過ごしているわけである。 ほんま!毎日楽しいてしゃーないねん♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.07 22:42:29
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