2009/10/24(土)14:43
奥に潜んでいた自我をまたひとつ手放した
ズドーンと凹んでいたのはどこへやら、今日は非常にリラックスしたのんびり気分です。
珍しく自炊などもしちゃったりして♪
ご飯炊いて、モヤシと豆腐を富士山5合目キノコ茶でお吸い物にしただけだけど(笑)
グルグルと堂々巡りをしているように見えていても、スパイラル状に以前にいた場所と変化していってる自分を感じます。
ひと時として同じ自分であることはない。
いつもいつも、新しい自分にこんにちわ♪って感じです(笑)
困難な人間関係だと思って身構えていたものが、ひとつの爆発を迎えたことで執着を手放しリラックスした心持ちでいられる。
手放すことが習慣になっていると爆発を迎える必要すらなく、最初から執着が生まれないのだと思うけども、まだまだ…な部分もありますゆえ(^^;
ずっと以前にやった、苦手だと思う人を一人一人「愛してるよ♪」といいながらハグハグしていく…というイメージアファーメィション。
たった一人だけ、目の前にその人をイメージしてもハグの出来なかった人がいます。
そして今回、私が大爆発をしてしまった原因は、その人でした。
「やっぱりオマエかっっ!!!」という思いも当然沸いていました。
まだ、いつもコイツが私の邪魔をする…という気持ちが払拭しきれてなかったのね。
その「邪魔」という思いは、私の行為の邪魔=自我が邪魔だと感じてる、ということなのね。
だから私はまだ自我の思いを手放さずに大事に持っていた、ってことなのね。
それに気付かせてもらった。
私の色眼鏡を取り除いてしまえば、その人はその人の思いで単に動いているだけで、実際は邪魔でもなんでもなく、ただそこに存在しているだけ。
それを邪魔だと認識していたのは、単に私の自我。
食えないオヤヂだとか、勝ち気なだけの上司だとか、ワンマンなボスだとか、我が物顔の中ボスだとか、そういう装飾語を付けているのは、全部自分の自我。
そういう判断と価値を付随させているのは、自分自身。
そういうものを全部取っ払って、ただそこにその人が存在しているだけ、と視えるようになってくると自分の中になんの葛藤も発生させる必要がない、んだよね~。
たとえば、「食えないオヤヂは健忘症でこないだ言ったことさえ覚えてないのかバカヤロー!」みたく思っているのは自分で、実際は「その人が前回の発言を覚えてない」と「今後の行動予定」という事実があるだけ。
発言を覚えていないことと今後の予定とは、なんの関係性もないってこと。
ただそこには「自分が思っていた予定と変更になる行動予定」というものが存在してるだけ。
もっと解体したら、「自分が思っていた予定」というものは実在しているのではなく、私(とその発言を聞いた人たち)の頭の中にしか存在していない空想上のもので、それがあるはずだ!と強く思うことはその空想上の予定に執着している、という状態になる。
「覚えていないこと」と「これからするべき仕事」に関連性を持たせているのは、実は頭の中だけ、ということになる。
「これからするべき仕事」は単に予定なだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。
要するに業者さんがやってくれると思っていた仕事をワシがせにゃならん、という事実があるだけだ…( ̄∀ ̄;)
それがヤだ!と思うということは、元々ラクに過ごせるはずだったのに…ということに対するワシの感情(自我)の意見である、ということですな!
そうっすよ、身を粉にして働けっちゅことですよ。。。やりますよ、やりますとも。
そうやってひとつひとつ気付きをくれる周りの人たちには、やはり感謝ですなぁ♪(´▽`*)