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今日も歩いて健康になろう

今日も歩いて健康になろう

心の健康私流

<一日一善>
 なんとなく心がけていることがある。
いいこぶっているように聞こえるかもしれないが、「一日一善」
確かこの言葉を知ったのは、
小学生の時の道徳の時間だったように記憶している。
だが、実際にこころがけるようになったのは、つい最近のことだ。
きっかけは忘れてしまったが、何かいいことをしたときの爽快感から、
思わず自分の口から「一日一善!」という言葉が出てきたのだった。
以来その言葉を忘れないように言い聞かせているのだ。
昨日、一日が終わろうとしていた夕方、ふと一日を振り返って、
今日は何を一善行っただろうか?と考えた。
しばらく考えた後、朝の出来事を思い出した。
今朝、ひっくんを幼稚園に送るため、玄関のドアを開けると、
シンくんが階段の踊り場で座り込んで泣いていた。
「どうしたの?」とたずねると、
「かばんを背負うのが嫌だって泣いてるんだよー」と困った顔であつこさんが言った。
私はシンくんを抱き上げて、
「一緒にいこうよ、シンくん」と、言ってシンくんを抱いたまま、
階段を下りた。
かばんと泣いているシンくんを見たとき、
実はそこに幼かった自分の姿を見ていたのだ。
あれは、私が小学一年生になったばかりの事だった。
新しく買ったばかりのランドセルが、皆とすこし違っていた事で、
道端でダダをこねはじめたことがあった。
そこに、たまたま、近所の子ども好きなおじさんが通ったのだが、
私のわがままをすべて、そのまま諭すでもなく受け入れてくれたのだった。
そのランドセルは、自分が選んだランドセルだった。
母がもっと昔からある基本的なランドセルにしたほうがいいのではないかといったにもかかわらず、
私は、最新のデザインを自ら選んだのだった。
そんな事情も知らない通りすがりの、
おじさんが私の気持ちを受け止めてくれた事は、
おおきなやり場のないわたしのわがままな、
悪いエネルギーを静めさせてくれたのだった。
あの時、あのおじさんに出会わなかったら・・・・・・
すらりとしたサラリーマン風の、そのおじさんは背広姿で出勤途中だったのか。
顔は覚えていないが、やさしい表情は今でも忘れられない。
泣いていたシンくんは、幼き自分の姿だったのかもしれない。
だから、私はシンくんを抱きしめずにはいられなかったのだろう。
シンくんを抱きあげたとき、私はなんとも言えない幸福感に包まれていた。それから、シンくんも泣きやみ、
いつものように、ママチャリ2台で幼稚園に向かった。
何事もなかったように・・・・・・・・・・・・
昨日、夕方の家事がひと段落ついたその時、
一日を振り返り思いついた自分なりの「一善」は、
もしかしたら単なる自己満足だったのかもしれない。
あつこさんにとっては、自分の力でシンくんに立ち上がって、
自分のかばんを背負ってほしかっただろう。
このことが、一善だったのかどうかは分からないが、
私の中から出ていた気持ちは「善」だった事には変わりない。
シンくんにとっても善だったと信じたい。
 
いいことをするのは、結局自分のためにするものなのかもしれないと思う。
だから、見返りや、感謝の気持ちをもらえなかったとしてもがっかりすることはない。
みなさんも、一度ためしにやってみてください。
実に気持ちのいいものです。
自分のこころが浄化され、やすらいでいくのがここちよく、
「また今日もなにかいいことしようかな」と、一善を
さがさずにはいられなくなるかもしれません。
心の健康は、一日一善で!

さあ!今日もはじめるぞー!


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