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先日、一つリサーチペーパーを書き上げた後、なんだかたるんでしまって、次がなかなか進まないんです。
今度のは、自分の専門分野だし、もしうまくいけば、実際に実験をしたいと思っているのに、どうしたのかな。 というわけで、ここ2日、だらだらしている私です。 それでは、しつこい「沈黙の意味」について。今回は、教育の場での沈黙がメインです。 アジアからの留学生は、アメリカの学校において、特に「Silent」であるということは、よく言われている。 過去の様々な研究の結果を要約すると、彼等の「沈黙」には、様々な要因が関係しているようだ。 中国人留学生を長期にわたって、観察し、インタヴューをして、データの収集をしたLiuによると要因は、大きく5つに分けられる。 1.例えば、それは、自分の国での学習方法の違いや心理的に準備ができているかなどの認識的なもの 2.異国での不安、動機など感情的なもの 3.静かにしていることが先生や他の人へ敬意を表していることと捉えられたりする社会文化的なもの 4.先生の教授法など教育的なもの 5.実際の英語力などに関する言語学的なもの これら5つの要因が、一人一人の留学生の沈黙度に関わっているとLiu(2002)は指摘する。 日本人の学生に関してはどうであろうか? ここにイギリスの現地の小学校と中学校へ通う日本人の生徒の「沈黙」について研究したものを簡単に紹介する。 この研究は、1998年に日本人の生徒と親 (多くは駐在員の家庭)、そしてその生徒の先生の意見を聞いたり、授業を観察したものをまとめたものである。 そのなかで、特に強調されているのは、日本人の生徒の沈黙は、イギリスと日本での学習背景が違う事によるものだということだ。つまり教育哲学が違うということだ。イギリスの学校では、Learning through speaking,つまり、意見を交換しあうことによって学習していくことが強調されているのに対し、日本の学校では、Learning through listening,つまり、先生の授業をよく聞くことによって、学習するということが強調されているのだ。 しかし、教師側は、こういった生徒の教育の背景や社会文化的な背景を理解せず、ほとんどが「異本人の沈黙」は、英語力によるものだけだと思っている。 またまた、しつこいけど、つづきます(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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