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今日のNYは、最高気温が30度。
決して涼しくはありませんが、これくらいの暑さならまあ、快適な方でした。 昨日、そしてその前の日と、「プレーメートのお姉さん」やら「レズビアン」など過激なトピックで書いてしまったので、今日もこのいきおいでスッゴイことを書いてやる!と思ったのですが、今日はやめておきましょう。気温も下がった事ですしね(笑)。 ここからは、まじでまじめなので(さっ寒い!)、よろしくお願いします。 さて、最近読んだ本に池上彰氏の「日本語の大疑問」というのがあります。 そのうちの一章は「日本語の乱れ」について書かれています。 唐突ですが、あなたは「チョべリバ」っていう表現を使いますか(笑)? 多分、これって死語ですよね。使ったとしても、受けをねらって使うくらいで、「チョべりバ」なんていったら、寒がられますよね、きっと。 こういった言葉って一時、流行ってもやがては消えていくものですね。 この本の中で、実は「コギャル語」は、江戸時代にも存在していたということが指摘されています。例えば、江戸時代の女の子の間で「キツイ」という言葉を頻繁に使うのが流行っていて、「キツイ世話焼き爺だね」などと使っていたそうです。この「キツイ」は、今の「超」にあたるらしいですよ。 しかしこういったものだけでなく、言葉の変化が定着してしまったものもあります。 例えば、「は」は、かつて「ファ」と発音されていたそうです。よって、「母」は「ファファ」、「畑」は「ファタケ」だったそうです。今、「ファファが最近、さらにふとってねー」などといっても、「えっ、どこが太ったの?」という感じで、「ファ、ファ、ファ!」なんて笑ってる場合じゃありません!その他の音の変化では、「セ」は「シェ」、「ズ」は「ドゥ」という風に発音されていたらしいですよ。 まあ、「ファファ」より「ハハ」の方が言いやすいってことは、発音が楽な方に言葉が変化して、定着したということになりますね。 又、現在の言葉の変化の一つに「ら抜き言葉」というのがあります。 これは、例えば、「食べられない」と本来は言っていたところを、「ら」を抜き、「食べれない」と発話することを指します。 私はと言えば、意識しないと「ら」を抜いています。 でも、この「ら抜き言葉」をお年寄りの人は、「日本語の乱れ」であるといって嘆いています。 「日本語の乱れ」、いつの世にも嘆かれていたそうで、吉田兼好も若者の言葉は、けしからんと嘆いていたそうです。 では、何が基準で「日本語が乱れている」と感じるのでしょうか? 私は、この本の著者、池上氏の言っている事に同感です。 つまり、自分の育っているときに使われていない言葉や用法は、乱れているように感じるのです。 言葉は生きているから変化するのですが、今、年配の方に嘆かれている「ら抜きことば」は定着してしまうでしょうね、きっと。 そうなると、皆さんが書いているブログも何百年後には、「源氏物語」の原文をさらっと読解できないように、何かの文法書や辞書なしでは理解不可になるのでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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