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A Thought in NY

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October 3, 2007
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ビルマ情勢について、一般アメリカ人は関心を持ってないと思います。

もちろん、新聞やCNNなどのニュースは、軍事政権によるデモ鎮圧についてや、国連特別顧問がアン・サン・スー・チー女史と面会したことなどについて取り上げていますが、たいていのアメリカ人にとっては、ビルマで何が起きているかなど関心がないのです。

それを裏付ける事になるかどうかは、分かりませんが、CNNのウェヴニュースでは、Most Viewedといって、最も読まれた記事のランキングがありますが、ビルマについての記事はトップ10入りしていません。トップ10入りしているのは、ネバタ州女児暴行事件(これも恐ろしい事件です)やアイドルのブリトニースピアーズが親権をなくしたことなどの記事です。

軍事政権によるビルマ国民への様々な人権侵害。

各国に、アメリカにもっともっと現政権にプレッシャーをかけて欲しい。

星星星星星

LW.jpg

上の銅刻版は、以前に紹介しました41丁目のライブラリー・ウェイに埋められてるものの一つです。

板には、こんな風な事が書かれています。

"Where the press is free, and every man able to read, all is safe - by Thomas Jefferson"

大まかに訳すと、言論・出版の自由を認め、皆が読めるなら、セーフ、つまり、「平和」であるはずだといったところでしょうか。

NYでは、もうすぐで真夜中になりますので、ここらへんで寝まーす。

PEACE ON EARTH!






Last updated  October 3, 2007 12:51:31 PM
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September 9, 2007
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ニューヨークの本日の気温は、最高気温が27度。

まだ蒸し暑い日が続いています。

世界には、まだ治療法が見つかってない、いわゆる「難病」が存在します。

「ムコ多糖症」という病気もその一つ。

私も2児の母ですが、長女は、入院歴、すでに3回です。

多くの人に知っていただけたらなと思います。

(以下は、抜粋です)

星星星星星星星

   
     
[ムコ多糖症]

  ムコ多糖を分解する酵素が先天的に欠損している為、体内に蓄積することで様々な異常が引き起こされる病気。多くの場合、身体や精神の発達遅滞、骨の変形、水頭症なども伴う。重症の場合は成人前に死亡する。

今のところ有効な治療法が無いので、骨髄移植や遺伝子治療の臨床成果が待たれる病気の1つである。


        http://www.muconet.jp/







Last updated  September 15, 2007 10:32:55 PM
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December 5, 2006
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私は、今度生まれ変わったら、イタリア人かスペイン人を希望しています。

というのも日本食の次に好きなのが、イタリアンとスパニッシュ料理だからです(笑)。

出来れば、魚介のおいしい海辺の近くに生まれたいです。でも、ある科学雑誌によると、2044年には、海洋汚染のため、天然の魚介類を食べるのは、危険になるとの報告もあります!!!

ところで、今日の学食は、パスタでした。

パスタの日だと、注文してから、その場でつくってくれるので、味はかなりいけます。

今日のパスタのチョイスは、ペンネかトルテリーニ。

トルテリーニとは、おへその形をしたパスタで、中にたいていチーズが入ってます(下の写真は、トルテリーニのウェブサイトより)。

tortellino

もちろん、タイトルのようにトルテリーニを選びました。

次は、ソース選び。今日のチョイスは、トマト系かクリーム系。私は、クリーム系をチョイス。

野菜は、面倒なのでEverythingといいました。

すべての選択の後、調理のおばちゃんが、日本でよく鍋などをやるときに使う、卓上ガスコンロの
上で野菜を炒め、ソースをかけて、ちょっと煮込んでくれます。それにゆでたトルテリーニを加えてできた物が、こちら。

torterini

この写真では、おいしさが伝わりませんね。

でも、値段(5ドル)のわりには、とーってもおいしかったのですよ。ただし、入っていたオリーブは塩辛すぎて、アウトだったのですが。

ところで、もし、魚介類が2044年になるころには、食べるのが危険という報告が本当だったら、悲しいですね。








Last updated  December 6, 2006 01:39:41 AM
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August 5, 2006
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今日のNYは、最高気温が30度。

決して涼しくはありませんが、これくらいの暑さならまあ、快適な方でした。

昨日、そしてその前の日と、「プレーメートのお姉さん」やら「レズビアン」など過激なトピックで書いてしまったので、今日もこのいきおいでスッゴイことを書いてやる!と思ったのですが、今日はやめておきましょう。気温も下がった事ですしね(笑)。

ここからは、まじでまじめなので(さっ寒い!)、よろしくお願いします。

さて、最近読んだ本に池上彰氏の「日本語の大疑問」というのがあります。

そのうちの一章は「日本語の乱れ」について書かれています。

唐突ですが、あなたは「チョべリバ」っていう表現を使いますか(笑)?

多分、これって死語ですよね。使ったとしても、受けをねらって使うくらいで、「チョべりバ」なんていったら、寒がられますよね、きっと。

こういった言葉って一時、流行ってもやがては消えていくものですね。

この本の中で、実は「コギャル語」は、江戸時代にも存在していたということが指摘されています。例えば、江戸時代の女の子の間で「キツイ」という言葉を頻繁に使うのが流行っていて、「キツイ世話焼き爺だね」などと使っていたそうです。この「キツイ」は、今の「超」にあたるらしいですよ。

しかしこういったものだけでなく、言葉の変化が定着してしまったものもあります。

例えば、「は」は、かつて「ファ」と発音されていたそうです。よって、「母」は「ファファ」、「畑」は「ファタケ」だったそうです。今、「ファファが最近、さらにふとってねー」などといっても、「えっ、どこが太ったの?」という感じで、「ファ、ファ、ファ!」なんて笑ってる場合じゃありません!その他の音の変化では、「セ」は「シェ」、「ズ」は「ドゥ」という風に発音されていたらしいですよ。

まあ、「ファファ」より「ハハ」の方が言いやすいってことは、発音が楽な方に言葉が変化して、定着したということになりますね。

又、現在の言葉の変化の一つに「ら抜き言葉」というのがあります。

これは、例えば、「食べられない」と本来は言っていたところを、「ら」を抜き、「食べれない」と発話することを指します。

私はと言えば、意識しないと「ら」を抜いています。

でも、この「ら抜き言葉」をお年寄りの人は、「日本語の乱れ」であるといって嘆いています。

「日本語の乱れ」、いつの世にも嘆かれていたそうで、吉田兼好も若者の言葉は、けしからんと嘆いていたそうです。

では、何が基準で「日本語が乱れている」と感じるのでしょうか?

私は、この本の著者、池上氏の言っている事に同感です。
つまり、自分の育っているときに使われていない言葉や用法は、乱れているように感じるのです。

言葉は生きているから変化するのですが、今、年配の方に嘆かれている「ら抜きことば」は定着してしまうでしょうね、きっと。

そうなると、皆さんが書いているブログも何百年後には、「源氏物語」の原文をさらっと読解できないように、何かの文法書や辞書なしでは理解不可になるのでしょうね。






Last updated  August 5, 2006 12:10:56 PM
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June 1, 2006
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今日も暑いNY. 気温は30度近いです。

そのため、ライブラリーは異常に寒いです。エアコンが効きすぎなのです。冷え性の私には、つらいです。

冬用カーディガンは、夏の必須アイテムだったりします(笑)。

また、外と中の気温度差が激しいので、外に出ると、頭がクラクラ。

それでは、完結編です。

今までのポイントをまとめると、沈黙には、様々な機能がある。結婚してくださいといわれて、黙っているのが「Yes」という意味に捉えられる場合もあれば、「NO」と解釈される場合もある。

又、その人が比較的「沈黙」かどうかは、それぞれの文化における沈黙への寛容度が違うということを以前に述べた。フィンランドの人が、コミュニケーションにおいて、沈黙が長くとも不快に思わないのに関して、アメリカの人が、長い間話さないでいるのを不快に感じるといったようなことだ。

学校の授業内における沈黙については、それぞれの文化における教育方針が大きく関係しているようだ。それは、その文化が「話すことによって学習」を奨励するのか、または、「聞くことによって学習」するのかということだ。

今回の実験のデータは、アンケート調査をもとにして得たものである。既存の研究と違う点は、日本人だけでなく、アメリカ人の生徒にも、意見を求めたことである。

しかし ボランティアしてくれたアメリカ人は7人、日本人は6人と少ないので、このリサーチの結果を一般化することはできなく、あくまでも、今後のリサーチへの指標であると思ってほしい。

アンケートには、年齢層やアメリカの滞在暦などだけでなく、沈黙に関する様々な質問が記されている。

結果は、アメリカ人も日本人の学生も、アメリカの大学院において、授業中に意見を言うことを大切であると考えている。しかし、日本人学生全員が授業中にSilentであると答えた。アメリカ人の学生のうち、4人のみが、授業中によく意見を言うと答えた。

このことは、すべてのアメリカ人が意見をよく言うとは、限らないことを示す。つまり、意見をよく言うのは、一部のアメリカ人学生のみである。

また、沈黙していても授業に参加していると思うか?の問いに対して、日本人は、Yesと答えたのに対して、アメリカ人は、Noと答えた。

つまり、日本人の生徒は、Silentであっても、ノートを取ったり、先生の講義に相槌をうったり、頭の中で積極的に議論されていることを考えたりしていることを「クラスに参加している」と考えているのだ。

また、教授はSilentな学生を否定的にとらえると思うか?の問いに対し、アメリカ人の学生は、Yes と答えたが、日本人学生は、NOと答えた。

つまり、日本人の学生は、Silentな自分たちを教授がネガテイヴに見ているとは、思っていなく、それは、教授が文化的な背景の違いや、それぞれの生徒の学習スタイルが違うということを理解していてくれているためであると答えた。

しかし、アメリカ人の学生は、授業中の沈黙は、議論されていることに、興味を示していないということと同じであると解釈していた。

それでは、比較的Silentであると答えた学生のSilentの原因は何か?

つづく。







Last updated  June 2, 2006 04:18:16 AM
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May 26, 2006
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先日、一つリサーチペーパーを書き上げた後、なんだかたるんでしまって、次がなかなか進まないんです。

今度のは、自分の専門分野だし、もしうまくいけば、実際に実験をしたいと思っているのに、どうしたのかな。

というわけで、ここ2日、だらだらしている私です。

それでは、しつこい「沈黙の意味」について。今回は、教育の場での沈黙がメインです。

アジアからの留学生は、アメリカの学校において、特に「Silent」であるということは、よく言われている。

過去の様々な研究の結果を要約すると、彼等の「沈黙」には、様々な要因が関係しているようだ。

中国人留学生を長期にわたって、観察し、インタヴューをして、データの収集をしたLiuによると要因は、大きく5つに分けられる。

1.例えば、それは、自分の国での学習方法の違いや心理的に準備ができているかなどの認識的なもの
2.異国での不安、動機など感情的なもの
3.静かにしていることが先生や他の人へ敬意を表していることと捉えられたりする社会文化的なもの
4.先生の教授法など教育的なもの
5.実際の英語力などに関する言語学的なもの

これら5つの要因が、一人一人の留学生の沈黙度に関わっているとLiu(2002)は指摘する。

日本人の学生に関してはどうであろうか?

ここにイギリスの現地の小学校と中学校へ通う日本人の生徒の「沈黙」について研究したものを簡単に紹介する。

この研究は、1998年に日本人の生徒と親 (多くは駐在員の家庭)、そしてその生徒の先生の意見を聞いたり、授業を観察したものをまとめたものである。

そのなかで、特に強調されているのは、日本人の生徒の沈黙は、イギリスと日本での学習背景が違う事によるものだということだ。つまり教育哲学が違うということだ。イギリスの学校では、Learning through speaking,つまり、意見を交換しあうことによって学習していくことが強調されているのに対し、日本の学校では、Learning through listening,つまり、先生の授業をよく聞くことによって、学習するということが強調されているのだ。

しかし、教師側は、こういった生徒の教育の背景や社会文化的な背景を理解せず、ほとんどが「異本人の沈黙」は、英語力によるものだけだと思っている。

またまた、しつこいけど、つづきます(笑)。







Last updated  May 26, 2006 11:40:14 AM
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May 24, 2006
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今は、午前1時50分。やっとリサーチペーパーを一つ書き終えました。あと、もう一つ書かなければなりません(涙)。

それでは、「沈黙の意味」のつづきです。

沈黙の形は、どこでも同じである。それは、コミュニケーションにおいて、音がないということだ。しかし、沈黙の機能は文化によって違う。

例えば、インディアンのアパチェ族は、不確かな状況に遭遇したときに、沈黙を保つ。そのため、彼等は、見知らぬ人に初めて会ったとき、話さない。それが何日も続くときもある。

また、同じ文化のなかであっても、沈黙は違った機能をすることもある。

例えば、ユダヤ系ニューヨーカーは、特に沈黙への寛容度が低く、会話をしているときに沈黙を不快に感じる。よって、話の聞き手も黙ってきいているということはなく、声をだした「相槌」を頻繁にうつ。

これは、こういった文化背景を持たない人からみると、脅威に感じられる事もあるらしい。

つまり、おしゃべりなのか、どちらかというとSilentなのかというのは、それぞれの文化における基準をものさしにして、みているにすぎないのだ。

日本人がアメリカ人にとって、比較的しずかな人種であるとみなされたとしたら、それは、そのアメリカ人の「静かさ」の基準、つまり、「沈黙」への寛容度が低いためである。

しつこいけど、更に続く(笑):)






Last updated  May 24, 2006 02:56:48 PM
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May 21, 2006
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今、書いているリサーチペーパーの一つのテーマは、日本人における沈黙について。

日本のことわざには、例えば、「沈黙は金なり」、「以心伝心」、「腹芸」などというように、「話すこと」に必ずしも肯定的な意味を持っているわけではないものがいくつかある。

有名な「松島」について、詠った詩には、形容詞がない。

言葉を使う事で松島の美しさが失われてしまうからだ。

しかし、日本だけでなく、フィンランドのような西洋の国でも、「Talk a little, listen a lot」のように、沈黙を重視することわざもある。

ことわざがその国の全ての人の行動を表しているわけではないが、何らかの一般的な社会行動を反映していると思われる。

このそれぞれの文化における沈黙の意味と機能が、どれくらい英語環境にある学校、特にアメリカの大学院で学習している日本人の「話すこと」に関係しているか、調査しようと思う。

つづく(笑)。









Last updated  May 21, 2006 11:52:31 PM
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April 24, 2006
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本人の強い希望により、あまりこのブログに登場しないBくん(=My husband)ですが、今日は、いいことなので許していただきましょう。

Bくんのことをすごいなって思う技の一つに、テコンドーにおけるラウンドハウスキックといって、飛んで、回って、蹴るというものがあります(笑)、というのは、本当なのですが、本題には関係なく、さらっとお金を寄付してくることです

今回は、ウェストチェスター在住の「テイラーちゃん」という現在、高校生の子が、小学生のときに癌になり、いろいろな治療の末に、助かったのですが、そのお母さんが立ち上げた、ボランティア団体に寄付したそうです。とっても小さなグループで、Tay Banzと呼ばれています。この団体の偉いところは、集めたお金を全部、子供のがん研究をしている、Columbia/Presbyterian Medical Centerに寄付することです。たいていのところでは、アドミニストレーションの費用などで、せっかく寄付しても、結局、役員の給料へと消えてしまったりするんですよ。

金額を聞いたときに、ミッドタウンの日本料理屋さんで松坂牛のしゃぶしゃぶが、もう嫌って言うくらい食べられるのに!、などとひとときでも思ってしまった自分にものすごく反省しています。

私の食欲が満たされるより、すこしでも癌研究がすすんで、治療も痛みの少ないもの(特に、癌の治療では、副作用がきついですものね)になるといいと本当に思います!






Last updated  April 25, 2006 01:34:09 AM
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April 13, 2006
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また、この前のテスト勉強のために読んだ文献の書留なので、興味の無い方は、ここから他のブログへ移動してくださいね(笑)!

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Frake(1964)によると、フィリピンは、ミンダナオ島のスバヌン族は、酒の席で人と知り合ったときに、ある種の特別なことばを使う。

これを、「Drinking Talk(酒席ことば)」と呼ぶ。

「酒席ことば」は、各段階にわかれており、それぞれのステージで特徴を持ってる。

まず、酒への誘いからはじまり、競いながら酒を互いに飲む。

その中で、議論するための適切なトピックの選択に移り、最後に自分は「酒に勝った」ということを誇示してこのDrinking Talkは終了する。

面白いのは、このDrinking Talkの達人が実際の指導者になるということだ。つまりそのような会話によってこそ、重要な論争に結論がでるからである。

つまり、ことばというのは、様々なFunctionを持っているということだ。

この点で、スバヌン族のDrinking Talkは、西洋の「カクテルパーティでのおしゃべり」とは、全く違う。

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あなたは、スバヌン族の指導者になれますか(笑)?

 







Last updated  April 13, 2006 10:00:19 AM
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