2021/04/07(水)16:43
ヤマサ醤油の七代目浜口儀兵衛
ヤマサ醤油の七代目浜口儀兵衛 ソースの企業化を試みようとしたのはヤマサ醤油の七代目浜口儀兵衛で、明治一八年にソース研究のため渡米し、ニューヨークでなくなったが、随行した高島小金治が製法を習って帰った。八代目の儀兵衛が高島につくらせ、ミカドソースと名づけ、「新味醤油」という名で商標登録をとった。 ミカドソースは単に国内用だけではなかったらしく、アメリカでの販売も試みている。 しかし、ミカドソースは時期が少し早すぎたようで、販売がふるわず、一年で製造を中止した。が、洋風化の波はこのすぐれた調味料をいつまでも放っておくことはなかった。このあとのソース製造の歴史はそのまま明治の庶民の味覚の歴史でもある。