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2016年02月18日
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蟹江市太郎(カゴメの創始者)

 明治四一年には名古屋の蟹江市太郎(カゴメの創始者)が、トマトケチャップ製造のかたわらウ-スタ-ソ-スの製造に着手した。

さて、こうしたいきさつから察しられることは、当初の日本のウースターソースは本場のものとはかなり違ったものだったことである。外国の食品や調味料が導入されるときは、多かれ少なかれ昧や香りが日本人好みに「日本化」されるのがふつうだが、ソ-スの場合は前述のように、その風味を左右する香辛料がえられなかったわけで、大幅な「日本化」はいたしかたなかったであろう。

 ところで、今の日本のウ-スタ-ソ-スと本場のものをくらべてみて、大ていの人が感じるのは、日本のものの方がおいしいことだ。慣れもあるだろうけれど、どうも日本のものの方がおいしい。

 私はアメリカのマサチエセッツ州のウ-スタ-市に二年ばかり住んだことがある。アメリカにはウ-スタ-という名の町が三つか四つあり、みんなイギリスのウースターシャー州出身の人たちの町だろうから、本場の、あるいは本場ものに近いウ-スタ-ソ-スにお目にかかれるかも知れないと思って行ったのだが、ウ-スタ-ソースそのものが一般的でなく、スーパーの棚の片隅に中国醤油やカレー粉などのマイナ-グル-プと並んでいるのを買って試したがあまりおいしいものではなかった。

日本のウ-スタ-ソ-スが今のもののようなおいしいものに完成したのは、たぶん大正から昭和のはじめにかけて香辛料が自由に入手できるようになったこと、日本人用の場合の用途もはっきりして、味の工夫の面で本当の「ジャパナイゼーション」があったことなどが原因だろう。日本のウ-スタ-ソ-スは、トビがタカを生んだようなもの、という人もある。

 以来、日本人は、サシミとつけもの以外にはなんでもソースをかけてみるようにになった。トンカツ・串カツ・生キャベツ・カレーライス・オムレツ・ヤキメシ・ヤキソバ・シュウマイ・お好み焼きからタコヤキにいたるまで、ウースターソースあるいはその変型が使われる。外国に長く住むと、いろい な日本の味を恋うようになるが、ウースターソースもその中の一つだ。アメリカで大味なステーキ・ローストビーフ・スパゲッティ・ピザなどを食べるとき、ああここにソースがあったら、となんど友人たちと話し合ったかわからない。日本のウースターソースは多くの日本庶民にとって「おふくろの味」ともいえる。

 そのソースも‥第二次大戦の敗戦によって、原料不足のためにつくれなくなり、品質の悪い醤油と酢を混ぜただけの、ソースではなく「ショース(醤酢)」が売られていた。

 いま、ウースターソースやそれをベースにした種々のソースが妍(ケン うつくしい)を競う。

平和とは庶民の舌にとって不可欠のものなのである。






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最終更新日  2016年02月18日 09時57分05秒
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