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2016年02月18日
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カテゴリ:食べ物 飲み物

トマトケチャップ

 『月間歴史教育1981 9

「生活史シリーズ」日本の調味料3 洋風調味料 明治文明開化の風味

大塚滋氏著 東洋食品工業短期大学教授 一部加筆

 

トマトはナス科に属する果菜である。ナス科はナス・トマト・ジャガイモ・トウガラン・ピーマンなどを擁する重 要な植物群で、これだけで野菜・主食・調味料・香辛料のすべてがまかなえる。できないのは酒ぐらいのものだ。   

 トマトとジャガイモが同じ科というと、まさかという人もあるが、ジャガイモの実を見ると納得する。ジャガイモの花をそのままにしておくと、直径二センチぐらいのかわいい「トマト」がなる。ただし、味はあまりよくない。トマトとジャガイモの木を接ぎ木すると、枝にトマト、根にイモをならせることができる。ただし、日本ではジャガイモの収穫時期の方が早いので、あまり実用的とはいえない。交配によって、枝と根の両方にならせる品種(「ポマト」あるいは「トテト」)をつくる試みが成功しつつあるようだ。

 トマトの原産地は南米のアンデス山中のペルーあたりといわれている。インカ帝国を滅したスペイン人はトウモロコシ・トウガラシ・ジャガイモなど南米の重要な産物をヨーロッパに伝えたが(このこと以外にスペイン人は国外でロクなことをしていない)、トマトはその中でもたいへん大切なものである。

 しかし、伝来の初期は毒があるといわれて、観賞用としてもてはやされた。はじめてトマトを食べた勇気ある人はオランダのトドエンスという薬草学者で一五八三年のことだという。トドエンスは塩・コショウ・油で料理したということだ。こんにちこれほど世界的に食べられているトマトも、その食用の歴史はわずか四〇〇年のことなのである。しかも、ヨーロッパで一般に食べられるようになったのは、ずっと時代が降ってからのことだ。

 トマトの食用の普及に功績のあったのはなんといってもイタリア人で、どうしてか知らないが、イタリア人はほとんどすべての料理にトマトを入れるようになった。トマトを使うと必然的に料理はトマトの甘酸っぱい味になる。かくてすべてのイタリア料理がトマトの赤い色に染められることになる。

 イタリア人とピザを食べるとよくわかるが、直径約二五センチ、厚さ二センチぐらいのヤツの表面はトマトの色で真赤。これがプレーンピザで、お好みにより、ミトトポール・アンチョビー・ソーセージ・サラミなどがのる。余談だが、ふつうトマトソースの下にはチーズが敷きつめられているので、八つ切りにした一片を持ち上げるとチーズが納豆の糸を少し太くしたような白い糸を引く。二片の底を外側にして折り重ねて持って食べるのが、指をよごさない通の食べ方だ。これに粗挽きのトウガラシ(レッドペパー)を真赤になるまで-もっとも表面はトマトの色ですでに真赤だから、その赤色をトウグラシの赤色がおおいかくすまで-ふりかけて、食いつく。スパゲッティやマカロニをトマト味で煮て食べることもご存じの通りだ。

 イタリア人がスパゲッティやマカロニなどのパスタ類を中国からドイツを経て学んで食べ始めたのが一四世紀と いわれるから、トマトの導入まで一〇〇年ぐらいの開きがある。こんにちのイタリアでのパスタとトマトの強固な結合を見ていると、いったいイタリア人はトマトを知る前はスパゲッティや マカロニをどうやって食べていたのか、 ふしぎに思えてくる。

 はじめは(今もだが)トマトを他の具といっしょに煮込んで使っていた。

宝塚にある「アベラ」の店の主人アベラ氏(故人)がイタリア料理を作るのを見学したことがあるが、冬のことだったのでトマトがない。アベラ氏は業務用のトマトの水煮の大きな缶詰を開けて、汁ごとナベにぶち込み、強い火で熱しながらシャモジでかきまわしつつ、「これイチバン。イタリアにない。日本よい国」などと礼讃していた。

アメリカ人は一つの調味料を発明した。トマトケチャップ

 こうしたトマトの調味料的使用法を便利にし、冬でも使えるように工夫したのがトマトソースやトマトピューレヘトマトソースを濃縮したもので、イタリア料理を年中赤く染めるようになった。「マカロニ〇〇」などと、イタリアといえばマカロニが冠せられるが、味覚の特徴や工夫からいって、イタリア人の特徴はむしろトマトにあるといっていい。もっとも「トマト・ウエスタン」では様にならないけれど。

 トマトソースはヨーロッパを北上し、ヨーロッパ一帯で使われるようになった。新大陸へ移住がはじまり、アメリカ合衆囲が誕生していく段階で、アメリカ人は一つの調味料を発明した。トマトケチャップがそれである。

 トマトケチャップはアメリカで誕生した新しい調味料で、ウースターソースと並んで日本で抵抗なく好まれるようになった洋風調味料は日本人の食生活からちょっと消せないほどの人気を保っている。ことにその甘酢っぱい味は愛らしく、子どもたちに愛されている。アメリカでも同じらしく、マーク・トウェーンは渇望したものの

中にトマトケチャップを加えている。「ケチャップ」という日本人にとっては愛らしい名も日本での人気の一つになっているかも知れない。

 しかし、この名はアメリカ人にとって、それほど愛らしいひびきではないらしい。「吐き気をもよおさせるひびきをもっている。」といったアメリカ人もある(GR・スチュアート)。それにもまして、この調味料の名は、アメリカ人にとって一種のミステリーでもあるらしい。というのは、この名は現在、少なくとも三種類の書き方があり、したがって、人により少しずつ違った発音で呼ばれているからだ。一番ふつうなのはKetchupで読み方は「ケチャップ」だが、このほかCatsup(カチャップ)とCatcTup(キャッチ・アップ)がある。前記のスチュアートはその著書(邦訳「アメリカ文化の背景」)の中で「この語の由来は複雑であいまいであり、博士候補者の研究題目としてふさわしいものである」とさえいっている。

 「ケチャップ」という語は魚醤と関係があるらしい。スチュアートもそのことに触れており、「結局それはシナ語で、マレー語の形を経たものと思われる。一六九〇年にインドの貿易品として、ケチャップという品がイギリスに現われたが、それはあきらかにトマトとは無関係である。それは魚を塩漬けにするときに用いる塩水と本来何かの関係があったソースをさすようにも思われる…この話が実物とともにイギリスから(アメリカの) 植民地へ渡って来たことは疑いない」。

 『事物起源辞典』を見ると、中国語で「塩蔵魚の汁」の意で茄醤(コエチップまたはケチアプと発音)というものと、マレー語で同じ意味のケチョプとが紹介してある。たしかにケチャップはこれらの語のどれかから訛った語なのであろう。

「塩蔵魚の汁」とは「魚醤」そのものだ。魚を塩に漬け、その汁を調味料として用いる。秋田のしょっつる(塩汁)や四国のいかなご醤油がそれにあたる。さらに塩辛もそうで、塩辛の汁を調味料として用いれば、それが魚醤ということになる。

 イギリス人はこのことばを「強い風味のあるソース」の意に用いたらしい。マッシュルーム・ケチャップやクルミ・ケチャップなどと呼ばれるものも作った。スチュアートはトマトケチャップのことを「その製品は『トマト・ケチャップ』と明記されるので、事実はトマト以外の材料で作ったケチャップはないのに、あたかもそういう品があるような感じを与える」といっているが、あやまりであり、この語に対するアメリカ人の感覚を正直に告白している。

 とにかくこうして、東洋で一番古いソースである魚醤が、西洋で一番新しいソース(トマトケチャップ)にその名を提供したのである。

トマトが日本の記録に登場するのは

貝原益軒の『大和本草』という本で、宝永五(一七〇八)年の刊だという。しかし、これもたぶん観賞用で、食用としての記載は明治五年の『西洋料理通』(仮名垣魯文編)あたりが最初らしい。この本には「蒸赤茄子(むしあかなす)の製法」が載っている。トマトはナスとの連想から「赤茄子」「赤茄」「蕃茄」などとよばれた。トマトの風味は日本人にはなじみにくかったらしく、なかなか普及せず、大正の初めごろ、農学校の生徒でさえ、トマトを自分で栽培しても、半分食べる人はすくなかったという。二五年ほど前に八四歳で亡くなった私の祖母は「薬だから」といって顔をしかめて食べていたが、友人からはめずらしがられ、ハイカラ婆さん扱いされていたという。

日本でトマトソースを最初に試作したのは、前出の蟹江市太郎(のち一太郎)だといわれる。蟹江は明治二三年にトマト・キャベツ・レタス・パセリ・白菜・ダルマニンジンなどの洋野菜を栽培した。ほかのものはよく売れたが、トマトだけは好まれず、加工法の必要を痛感した。それで、明治三六年にトマトソースを試作、四〇年にはトマトケチャップの製造を始めた。

 トマトにそっぽを向いた日本人も、トマトケチャップはすぐに好きになったらしい。生のときの青臭い香りもなくなっているし、種々の香辛料や調味料の香味が濃厚で、愛らしい調味料でぁる。ふつう、トマトピューレに砂糖・ブドウ糖・食塩・果実や麦芽の酢・化学調味料・トウガラシ・コショウ・チョウジ・ニクズク・メースなどを加えてつくる。こうした洋風の香りも日本人にアピールしたのだろう。オムレツ・ハンバーグステーキなどのほか、ハヤシライス・チキンライス・オムライスなどの料理も工夫された。もともとトマトケチャップは卓上で使うトマトソースとして工夫されたもので、アメリカその他では今も料理にはトマトソース、卓上にはケチャップ、と使い分けている。日本ではケチャップを料理用に使う点、新機軸だ。

 また、トンカツソース、お好み焼きソースなど、ウースターソースとケチャップの結合は、種々の味覚を生んでいる。

 トマトケチャップは誕生が新しい割に発明のいきさつが伝えられていない。ある日、気がついてみたらア人リカのすべてのカフェテリアと家庭の食卓の上にケチャップのビンがのっていた、ということのようだ。

 北杜市武川町柳沢 






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最終更新日  2021年04月07日 17時28分01秒
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