富士山の神 「このはなさくやひめ」について
(川柳(参考、富士山をめぐる川柳歴史散歩。清博美氏著))
本名はさくや姫にて御富士様
さくや姫俗名は御富士様といい
さくや姫三国一の富士額
さくや姫夏珍しき薄化粧
げっそりと夏痩せをするさくや姫
「古事記」によると、山神には、
大山砥神はじめ、
正鹿(まさか)山津見神、
遊□(おど)山津見津神、
奥山津見神、
闇(くら)山津見神、
志芸(しぎ)山津見神、
羽山津見神、
原山浄凡神、
戸山津見神
など、数多の山神が見える。
大山祇神が富士山神を訪ね、更に又筑波山神を訪ねてようやく其処に安居の伝説も、かれらの思想の上に構成せらるべき当然の説話である。
こうして、太古氏族は、その諸地方の諸山脈に、連帯の山々に各その主宰の山神を信じ、そこに宮処の山神の富士山神は、また浅間神とも申し、文徳天皇の仁寿三年七月官社に列せられている。
祭神は、木之花開耶姫命といわれる。天孫ニニギノ尊が此姫命を阜姫にお立なさろうとせられて、「汝誰之女子耶」とお尋ねなされた時、姫命は、「妾是天神聚大山砥神所生児也」と仰せられている。(『紀』)
大山砥神は女性の神であられるようであるが、『古事記』によると、大山砥神は、男性の神であられる。伊勢の内外宮には、男性の大山砥神のほかに、女性の大山砥神を祀っているところを見ると、大山砥神に既に男女両性の二神がおわしたことは明かなようである。富士山神は、女性の木華之間耶姫命であられる。
都良香の「富士山記」を見ると、
……古老伝云、山名富士取郡名山有神名浅間大神……とあり、
更に「詩林采葉集」には、
……そもそも此富士の権現は、信濃七国浅間大神と一体両座の垂迩(すいじゃく)にておはしますとかや、両山ともに浅間大菩薩と申す故也。……
と見え、諸国浅間神社の祭神は、皆同一神であろうと考えられることでもある。
吉田の火祭りの起源
……昔、命、追われさせたもうて、この地に入らせられた時、土民に譲って、無数の炬火を燃さしめられた。追手はこれを見て、援兵多く列ると思うて去ったので、命は無事なるを得た。(吉田の火祭りの起源)
それが七月二十二日の夜であったというので、いまもなお旧暦のその夜にいたれば、田の各戸、軒毎に槇を高く富士形に積んで、頂上から火を附けるというが、炬火といい、富士形の焚火といい、円錐形に曲線を描いた如き火山の富士山が、なお活動を歇めざる姿を、軟めたる後に儀式としてその模様を無事に祝うたことであったかもわからぬ。